平成時代の韋駄天達についてのレビュー

 

アニメ見ました。

 

dあにストアでなんか6月中に配信停止するので急いでみたのですけどもね

 

やっぱり面白いなぁ。

 

まあ新都社で無料で見れる文は既に見てるんですがね。

 

やっぱりバトルマンガは最高だなと。

 

そこで、このアニメ、漫画を見て、オレがこの漫画の特徴というか、特異的というか、気がついたことを言おうと思う。

 

 

特徴は2つある。

 

一つは強さの表現が上手いということ

 

一つはリアリティのこと

 

 

 

まず、強さの表現。

 

この作品中で最強キャラは韋駄天じゃん?

 

まあミクとかイースリーとか頭の良い別軸で強いキャラはいるけども、シンプルなDB的な強さは韋駄天のセンパイ2人が最強なんだが、

 

普通の漫画は、その最強キャラの上にさらに最強キャラを被せてきがちじゃん?

 

でもちゃんと弱いキャラに焦点を当てているっていうところが、上手いと思うんですよね。

 

 

例えばドラゴンボールとかも分かるけどインフレしまくって、多少強いキャラ、一般人が強いキャラも弱いって感じになってるじゃん。クリリンとかそういう地球最強だけど弱いよねみたいな。

 

でもこの漫画ではね、ちゃんとクソ雑魚キャラも本筋に関わってるから、それと最強キャラとの絡みとかで、ちゃんと強さが表現できている、ちゃんと強いキャラは「強い」ということが分かるわけじゃん。

 

そういうね、比較できる対象がないと、その強さをちゃんとわからないわけだからね。

強いキャラだらけだと、刃牙とかだとなんか東堂センパイとか一般人と比べて普通に強い部類のキャラのはずなのにザコじゃんってなるからね。

 

だからバトル漫画で一番重要、というか、忘れがちなのって、そういう「弱いキャラ」だと思うわけですよね。

 

なんというか、TCGにおけるインフレというか、そういうののでもなんかあるよね、そういうインフレが来すぎてて、強さがわかり肉いみたいな。

 

そういう意味において、平成時代の韋駄天は、意識してか知らないが、韋駄天は強い!!魔族も強い!ってちゃんと強さがわかりやすいのが良いよなって。

 

ちゃんと本筋のストーリーがあるからこそ話が保っているってところもあるだろうが。

 

 

 

 

 

 

そして2つ目の特徴として、リアリティがあるということ。

 

作者の作風というか芸風というか、シリアス系の話、かつギャグ的なゆるい感じも持ち合わせているというかね。

基本シリアスなんだけど、なんというか笑いながら人を解剖するみたいな、そういう西尾維新イズム的な面白さというか。があるわけなんですがね。

 

なんだろうな、別の作品を上げるならダンゲロス的な。アカメが斬る的な。

ダンゲロスやアカメも、ちゃんと強いキャラは強いって表現されているはいるんだけども、でも弱点をつかれると強者でも死ぬときは死ぬよ、っていうそういうリアリティがあるわけじゃないですか。

 

なんというか、韋駄天の根本原理である、「人類を守る」っていう性質も、「まあ種族が滅びないならいくらでも死んでもいい」みたいな、そういう残酷さだったり、

あのシスターがすごい綺麗事を言ってるけど「いや戦争ってそういうんじゃないから」みたいなそういう感じの弱さみたいなのも描いているわけだからね

あとミクが逃亡中一般引きこもり女を殺していたり(作中一番可哀想

 

あからさますぎるトゲというか、毒というか。

 

でもなんというか、それに対して作者の思想みたいなのも垣間見えはするけども、

でもそれはそれとして、リアリティを優先するみたいな。

 

AとBという対立する思想があって、一旦Aは間違っててBは正しい、みたいな描写があるものの、いややっぱりAのほうが正しいんじゃない?みたいな。揺れているというか、

 

実際のところどっちが正しいのかわからないというか、そういうフラットさみたいなリアリティがあるというか。

 

例えば途中で出てきた宗教国家も、人々から金を巻き上げるけど、イースリーが「それでいいんじゃないですか?」みたいにギャグ的に肯定しつつも、でも実際人々はそれで苦しんでますよね。みたいな戦争がその後に始まるわけじゃん?

 

シスターも、頭お花畑ではあって、それを否定するようなシーンがありはするけど、そのあとなんか敵側から頼まれて祝詞みたいなのを上げたり、みたいな。

 

魔族と韋駄天の戦いも、魔族が確かに悪だが、韋駄天も韋駄天で無関係なヤツ殺してるみたいな。それで魔族がなんか途中から主人公みたいになってるけども、でも魔族も魔族で最後拷問しまくってヒール的なところを魅せて悪いことしているみたいな。

 

 

なんというか、裁判官のように、どちらも公平に扱ってる感があるというか。

視点によって善悪は変わるというか、振り子のように揺れ動いているというかね。

 

 

そいう面白さがあるよね。

 

 

まあなんというか、普通に単純にパワーというか、韋駄天が最強みたいなのを楽しむアニメではあるという感じなんだけど、それだけじゃ持たないというか、ちゃんと弱いやつのシーンを挟まないと韋駄天の強さが引き立たないから、みたいなね。

 

そういう「強さの表現」と、「ストーリー進行」のバランスみたいなね。

 

どちらか片方、例えば「強さの表現」だけをしていれば、なんか韋駄天がただただ敵を倒すみたいな話になるだろうし、

 

「ストーリー進行」だけだと、まあそれはそれで面白そうではあるんだろうがね。

「マイホームヒーロー」みたいな、ストーリーだけで魅せてくる作品もあるっちゃあるんだけども、それができれば苦労しないというかね。

 

正直作者もこっから先どうしようか考えてない感はあるよな。

 

一応、クール教信者リメイクして商業科してるらしいんだが

 

ちょっと調べてみたが、二期の可能性はあんまないみたいな感じらしいよ。原作ストックがないみたいな。

 

まあそれはファンが二次創作すればいいんじゃねええの?

 

でもこういう、なんというか、ちゃんとしたオチがないっていうのも、新都社発作品ならでわというか。

 

いやさあ、ちゃんとしたオチがあるならそれを作れば良いのは分かるんだけどね。

 

でもそいうのって、期待を超えないといけないみたいな、そういうプレッシャーみたいなのがあって、それが制作者的に負担じゃん?

 

そういう負担を全部投げ飛ばして、自分が得意なことに全振りすればいいじゃん。みたいな考えもわかるわ。

 

まあそしてやっていくうちに、最高の展開を思いつくことだってあるだろうしな。

 

俺はそういうことができなかったから、今成功してないんだろうな。常にニガテを克服するようにみたいな。

 

まあね、このアニメ見て「いや最後投げっぱなしじゃん!!これから一体どうなるの!?」みたいな感想をちらほら見るけども。

 

でも新都社とかなろうとかそういうアマチュア創作文化に触れてきたり、自分が作る側に回ってきた俺からすると、まあ慣れっこというか、

「こういうのもあってもいいよね」っていうある意味偏った感想になるわ。

 

むしろこれで「未完成だから公開しない!!」ってならずに、ある意味中途半端な終わり方とて、世に出してくれたっていうのはありがたいことだし。

 

 

だからむしろ天原先生みたいなスタイル、憧れるというか、目標というか。

 

リスペクトしたいね。もっと楽に生きたい。

 

この人の昔の作品で、麻雀入門の漫画があるんだけど、この人の漫画の描き方とも通じつる部分があるなって。

 

どういうことかというと「最低限のルールを覚えたらまずはやってみろ!!」「上達したいと思ってから勉強すればいいんだよ!!」みたいな。

 

いやこの考えね、すごいいろんなことに通じるものがあるよな。

 

俺の場合、新しいものに触れる時、まず全部の知識をメモって整理してから、作品を作る、みたいなことがあるけど、

 

その場合、そのメモが無駄になることってあるじゃん。

っていうか心が折れたりとかさあ。メモを全部見返すわけじゃないじゃん。

 

そういう無駄なことをせずに、っていうことなんよね。実際作り始めてから分かることもあるしな。

 

まあそのやり方が必ずしも間違ってるってわけじゃないと思うけど、非効率的というか。器用なやり方じゃないよな。不器用。