うみねこのなく頃に、感想レビュー ~解決編~

(18) 【公式】第1話~第26話 うみねこのなく頃に 期間限定本編配信 - YouTube

 

前回、おれはうみねこのなく頃にのレビューをした。

 

そこで多分俺はどっちかといえば高評価したんだけども、

 

前言撤回だ!!復唱要求!!うみねこのなく頃にはクソアニメである!!】

 

これが俺の…赤き真実だ!!

 

 

いやぁ・・・前回さあ・・、俺は最初の5話くらいを見て「ええじゃん。昔は糞アニメだと思ってたけど今にして思えば結構面白いなあ」って思ったんだけども。

 

なんか半分くらいで一旦中断したわ。

 

なんなの?これ…視点が…グラグラというか、何の話なのこれ?

 

俺はてっきりバトラ中心の視点で、物語をメタ視点でループしていってベアトリーチェと「魔法はあるORない」っていう論争で戦っていく、っていう話かと思ったらさあ…

 

なんか幼女が虐待されてたり、少女がいじめられてたり、魔法は信じるやつにしか使えないとか、ベアトリーチェが味方になりそうかと思ったら敵だったり、魔法バトルだったり、孤島から場面が外れたり

 

俺はさあ、赤き真実とかあおき真実とか、そういうカッコいいワードでの論理バトルを期待していたのにさあ…

 

そういうのも多少はやってるけど…、ベアトリーチャの「妾は復唱はしない」とかさあ…そういう屁理屈期待してるんじゃないんだよ。

 

あとこの話って、半分夢オチみたいなもんじゃん。完全に。

 

なんかこう、ベアトリーチェの過去みたいな話があったけど、それもバトラの同情を引くための嘘でしたみたいな感じだったじゃん。

あと物語がループするメタ視点のとか、魔法は信じればあるが否定すれば存在しなくなる、みたいなやつとかさあ、完全にメタ的なことじゃん。

 

もうなんでも有りの世界なわけで、

 

でもそのなんでも有りの世界の中で、霊体?となったバトラが、ベアトリーチェの魔法(妄想)を論理で追い詰めるみたいな話かと思ったんだけども。そうでもないっていね。

 

 

なんでこんなクソアニメがこんなに長大な尺を取れたのか…

しかも続編作る気満々の終わり方だったし。結局ラストも俺たちの戦いはこれからだだし。

 

なんかようつべのコメントで「作者が”一から百までなんでもかんでも説明しなきゃ物語を理解できない”と本作で危惧していた」みたいなことがあったけども。

こういうファンによるコメントもあるから、多分全てを見ると整合性自体はあるんだろうけどさあ。

 

一見わかりにくいけど、最後まで見ると理解できるみたいなさあ。そういう話かもしれないけども。

 

でもこれはヤリスギじゃないか?!

ヤリスギだろ。

 

こういう、宮崎駿みたいな、隠れた意図がある、みたいな手法さあ、それはこう、添え物のパセリである必要があって、メインとしてはある程度の人が楽しめる必要があるというかね。

 

なんかうみねこって、FGOや当方と同じく、サブカルの黎明期に人気が出たひぐらしに連なる作品だから、こう言うふうに長尺をアニメ化してもらえるんだろうけども、

 

その威光を関係なくしたらなんかこう…全然ダメダメだぜって感じだと思ったわ。

前回俺は「うみねことかって売り方上手いな」みたいなこと言ってたけど、前言撤回だ。ダメだ。下手すぎる。下手すぎるぜベアトリーチェ!!

 

なんかさあ、前も行ったけど、メディアミックスというかね、ノベルゲーであっても別媒体にすると全く違うんだなって。

 

前いった、化物語のゲームのやつもさあ、素直にノベルゲーとかにしたらいいのに、なんか「会話バトル」みたいなシステムにしてクソゲーになったみたいなやつ。

 

うみねこのようにノベルゲーからアニメ化なら、それよりかはしやすそうってのは少し思うけど、でもその場合アニメなら時間に限りがあるわけで、初見の人も見てるだけでわかるようにわかりやすく編集、省略しないといけないわけでしょ?

 

そういうのやってないっぽいんだよなこのアニメ、全く省略してないっぽいだよな。原作やってないけど、多分ひぐらし原作みたいに、なんか脇道にそれてそれぞれのキャラの話とか見れるシステムとかあるんでしょ?あれを全部アニメ化したぽいよな。脇道にそれすぎなんだよ。

 

やっぱりさあ、そういうメディアミックスと言うか、別媒体への移植みたいなのっていうのは、原作のファン&その媒体の特性を知り尽くしてるプロに負かすべきで、それでもダメだったら中止しますっていう決断が必要なんじゃないか。

 

その方が損失が少ないと思うし儲かると思うがな。

 

 

でもなんというか、すごい……作者が「やりたいことを好きなようにやるぜ!!」っていう感じの作品だわ。

 

だからまあ、その点では良い作品ではあるのかも知れない。そういうのも俺は否定できないわ。作者がやりたくないことをして名作が生まれましたっていうことも、よくある話なんだろうけども、俺は嫌だなぁ。スパイファミリーの作者も、ああいう漫画を書きたいわけじゃないみたいなこと言ってたし。

 

なろう系みたいなのの存在価値の一つは、とにかく「作者が書きたいものをかける」っていう点だからな。

 

昔はそうじゃなくて、常に需要が求められている創作しかプロになれなかったわけじゃん。漫画家も編集者に認められないと世に出られなかったわけでしょ?そこから脱却したのがなろうでありネット投稿の文化であり、つまり作者が気持ちよくなって、基本それで良くて、その上で読者も面白いって思ってもらえれば皆ハッピーじゃんみたいな。

 

そういうことをやってる作品なのかなと思った。うみねこって。ひぐらしがある程度売れたから、今度はこっちのターンだ!!好きなようにやるぜ!! みたいな。

 

なんか他にも、むっちゃ定番とかした人気マンガの作者が、次回作で好き飼ってやるってパターンあるよな。失敗例としてはサム八が有名だが、神のみぞ知るセカイの作者も次回作にねじの人々っていうエッセイ漫画みたいな奴書いてたな。あと結界師の作者もバードメンっていう面白そうになりそうでつまらない漫画書いてたし。

 

まあ失敗例ばっか言ったけど、庵野監督とかは成功例だよな。エヴァは正直作りたくないんだろうなってのが映画最終章でひしひしと感じられたわ。庵野はシンジくんのあの青い感じに没入できなくなった感あるよな。その一方でウルトラマンとかは良かったわ。