俺は前々からね、アニメの倍速視聴なり、長良市長なりンながら視聴なりをね。推奨というか、肯定してきたわけだよね。
巷ではそれは邪道1っていわれてるわけだけども、でもそうするしかないじゃん。娯楽古典ツノコンテンツの量が多すぎる。
そうやって消費していくことでなんか一つ一つのアニメが雑に消費うんたら~って言ってるけども。
でもさあ、それで興味を持てなければ、それまでのことだと思うわけだよね。
別に好きにならなくてもいいじゃんそのアニメを。
雑に消費して言って自然に好きになるアニメがあればいいじゃん。その出会いのためにそうやって雑にアニメを消費していくべきなんだよね。
それとね、見られるだけまだいいじゃんみたいなね。再生数に貢献してるんだからみたいな。
まあでもね。そういう俺でもまあたしかにね。「面白いアニメ」は倍速視聴、「ながら見してはいけない」と思うんだよね。
面白いアニメ…最近だと、アンダーニンジャが最近だと一番かもしれない。あとさあ、アプリで漫画読んでるけど、なんかこっから先は有料ですみたいな感じになるやつね。くっそ面白い漫画あるから、だからこそ読み切っちゃうんだよなぁー。なろう系だと「壁抜けバグ」とか「信じていた仲間たちに~」とか良かった。
ここまでが俺の主張だった。
でも、ここからさらに俺の新境地なんだが。
お気に入りのアニメでも、ながら見してよくね?
そういう邪道に手を出してしまったわけですよね。さらにここまで発展してきた。
邪道に落ちて言ってるわけですが。
ここで言っておきたいのは、「面白い」アニメじゃない。「お気に入り」のアニメよ。
面白いアニメならば倍速せずに集中してみたい。
でもお気に入りのアニメは別に、ながら見でも良くない?
というのも、お気に入りだからといって、全てが面白いわけじゃない!!
なんかさあ、作画が気に入ってるとか、あるいはキャラがとかさあ。一部分だけが、先頭部分だけが、とかあるじゃん。
なんというかね、お気に入りの漫画でも、全てが一秒一秒全て面白いわけじゃないですよね。
気に入ってる好きな漫画でもアニメでも、面白い部分はそのうちの5割とか8割とかなわけじゃん。まあ3割もあれば十分だと思うけども。
前提として娯楽とは面白さがすべて。
面白いのために娯楽をしているわけなんだけども。
その面白を得るために、そのおかずをたべるためにご飯を食べないといけないみたいな。
そこまで面白くない、まあまあの部分も見ないとダメじゃん。
そりゃそうでしょ「全ての要素が面白い」って、人智を超えてるでしょ。ただそれが無いわけじゃないけど、
近いのは「ダンジョン飯」かもしれない。
でも殆どの面白い作品、気に入ってる作品って、面白い要素は全体の5割以上、言い換えるならば5割以下はそこまでの部分なわけじゃん?状況説明だったり、テンプレだったり。
だから、そこのまあまあの部分って、集中して見る必要ありますかっつーはなしですよ。
つまり、ながら見でもOKなのでは?
そして、面白いと思う部分だけ集中してみれば良い。
逆に言うならば、「面白部分が8割以上のアニメは集中して等速で見なさい」、という教え。
そして、どの部分が面白いか面白くないかまあまあかを見極めるのは簡単なわけですよね。
基本ながら見で見てむっちゃ面白ええええ!!って思った部分が面白い!!
つまり我思う故に我ありというノリで、面白いと思ったやつが面白い。これは誰にもわかるからね。
なんだろうね。おもしろくなくても、面白いと勘違いする部分があるけどねために。
それは「執着」なのだろうなと思うわけですよ。
面白いと勘違いしているだけなのだと。
つまり、かのわんぴいすの名言、「もっとジブンに、正直に生きろや!」
面白いと思ってる作品も、面白くない部分がある!!
そういうわけなんですわ。
ジブンが信仰しているアニメ・マンガでも、面白くないものは面白くない!!!面白いものは面白い!!!
そうやって取捨していくことによって人類は次のステージになんたらかんたら。
まあつまりね、そうでもしないと追いつけないんだわ。ただでさえ最近やることが多いのである。