俺は前になんか速読について記事を書いた気がするが、また最近思ったことについて更に言いたい。
速読と聞くと、一瞬でパラパラとめくるだけで、内容を全て理解するみたいな、そういうのをイメージするじゃないですか。
まあね、そういうことができる人もいるかもしれないが、普通の人はできないわけですわな。
まあ数年とかかけてそういうスキルを会得しようとしても良いわけだが、それはどうなんだろうねと。
それがもし可能ならば俺だって会得したいものだが、正直分からんわけよ。そういうタイプの速読。
一瞬で内容を把握する、っていうのに憧れて俺も結構訓練法みたいな本を買って実践したりしたものだがね。
でも正直わからんわけよ。速度が早くなってるのか?っていうね。
そこで俺は思ったわけですよね。俺なりに速読をちゃんと考えないといけないのだと。
まあね、例えばさ、すごい面白い本があったとて、それを速読で読みたいか?といえば、そうではないじゃん?
個人的には面白い作品はできるだけじっくり味わいてえわけよ。
一方でそうじゃない作品もあるわけじゃん。
例えば、面白くないけど続きが気になるとか、オチが気になるとか。つまんねーけどちょっと気になるみたいな作品ってあるじゃん?
途中まで見てはじめは面白かったけどだんだんつまらななったやつとかさあ。
あるいは、みんながネタにして上げてるから少し見ておきたいなみたいな。ガンツとかタフとか彼岸島とか、個人的にあんま好きな作風じゃないけどネタ的に読みたいみたいなさあ。
そういう、別にじっくり読みたいわけじゃないけど続きを教養として読んでおきたいみたいな作品に対して、速読っていうのは有効だと思うんだよね。
理解度は減るけども。楽しんで読むことはできないけども。大体の大枠の流れはつかめるわけじゃん?
言い方を変えるなら、
じっくり読む方法は、作品の中に入って「体験」して読む方法。
そして速読とは、その作品の「外側」から見る方法。
こういうイメージなんだよね。
内容を理解したとしても、共感するような読み方じゃないわけだよね速読って。
だから、あまり好きではない作品は、そうやってさっと読むと。
まあこういうとね、「効率重視のZ世代が!」みたいに作者とかファンは怒るかもしれないけどさ。
こういう方法ってそういう君たちにとっても得だと思うんだよね。
なんか心理学とかで単純接触効果みたいなやつあるじゃん?
つまり何度もその人と会うことで好印象をいだきやすくなるみたいな。
そういうのが作品に対しても言えると思うんスよ。
最初はあまり好きではない作風でも、速読で読んでいくうちに好きになってくることがあると思うんだよね。
なんかこういうのってよくあるよな。
アニメのOPでも、最初は微妙な曲だなと思ってるけど毎回聞いてるうちにいい曲じゃんってなったりさあ。
最初はジョジョとかも劇画調で合わないと思ってたけど読んでいくうちにだんだん普通に思えてくるわけじゃん。
それでその作品の面白さというか、そのノリというか、楽しみ方ってのが分かってくると面白くなるっていうやつ、結構多いと思うんだよね。
それで速読はやめて最初から等速で見るとかって言うこともあるわけじゃん。
そういうね、つまらないから速読で見る、倍速で見る、っていうのを、マイナスに思わないでほしいよね。
っていうか、そういう感想を抱いている人に読んでもらえるだけでありがたいと思うわ。俺が作者やファンならば。
もし、速読や倍速を使うことを許されてないなら「じゃあ読みません」ってなるわけじゃん。
仮にじっくり読むのが100だとすると、速読なら20~50の理解度なわけじゃん。
でも速読をしないってなって「じゃあ読みません」なら0理解なわけじゃん。理解すらさせてもらえないわけでしょ。
いわば速読というのは、体験版的な役割をしていると思うわけですよね。前哨というかさあ。
まあね。そういう感じでね、速読っていうのは、理解と不理解の中間なわけですよね。
0か100のどちらかを選びなさいっていうよりも、50とかそういうグラデーションを選べるっていうのが速読なんじゃないかと。
そういう考え方というか、そういう速読の理解もありじゃんじゃないかと思って。
なんか、速読という、こういう概念が生み出される前までは、0か1かだったわけじゃん。
読んだか読んでないかの二択であり、その中間は無かったわけですよね。
速読というのは、その中間をスライダーのように調節して、「じゃあ0.1だけ見る」「0.5だけ見る」みたいなもんだと思うわけですよね。
そして、具体的にその速読のやり方だけど、正直これは簡単。
「ページを捲る速度を早くする」これだけ。
理解しようがしまいがどんどんめくって言って、そのスピードで理解できる部分だけ理解していけ。という
そして最後まで読んだら、途中で気になったところを補完するように見ていけば良い。
また、そんなに面白くないと感じたなら、そのままその本を本棚に戻して別の本を手に取りなさい。と。そういうだけの話なんですわな。
これは動画とかでも応用できる。倍速視聴とかできるわけじゃん。
でもまあね、こういう考え方が邪悪だと考えることも分かるっちゃ分かるけどね。
だって、そういうグラデーションを作ってしまうと面白さを取り逃してしまったり、中途半端な理解になる可能性もあるわけじゃないですか。
でも、俺みたいな凡人が天才の領域に行くにはこういう考え方も必要なんじゃないかと。なんかあらがってるわけですわな。