ジェンダーというものへの不平等感

 

今は女の子が有利な世界じゃないですか。

 

昔は男の子が有利な世界だったんだろうけどもね。

 

まあ今は今、昔は昔ってことでね。

 

というわけでね、自分が男であることに不満を覚えている人は多いと思う。

 

女であることに不満を覚えているやつよりかは多いだろうな。2倍…とかそのくらい?

さすがに10倍とかまではいかないのではないだろうか。だって女は生理があるからな。男になりたい女もそれなりの数いそう。

 

まあとにかく、ジェンダーについてだがね。つまりここでいうジェンダーとは、心の性別というよりも習慣のことを指すことにする。

 

心の性別なんて無いと思うんですよね。あるとするならば洗脳とかセルフイメージに近いものなのではないか。

 

ともかく習慣何じゃねえかと思うんですよ。ジェンダーというものは。

 

つまり女は女用の制服を着る、女は女用の仕事をする。女は女物の服を着る。女は奢られる事が多い。女はワガママなことをしていい。とかさ。

 

まあ、ここでは「女が女湯に、男が男湯に入る」ってことはジェンダーに入らないものとする。

そういう肉体的な性差による習慣は必要だからやってるだけであって。

 

この記事におけるジェンダーというのは、「別に男だから女だからって、それする必要はないけど、なんか文化的にそうなってる」っていうやつを指すことにする

 

前述の通り女はハイヒールだとか、男はふんどしとか、そういうやつ。

 

 

 

そこで俺は思ったのですがね。

 

男が女物の服を着ることは恥ずかしいことじゃないですか。一般的に。

 

男がスカートをつけたりしたら注目されるじゃん?

 

でも女がスカートをつけてもなんとも思わない。

 

 

うーん説明しづらいけども、

 

例えば女と男がいるじゃん?

 

その男はスカートをつけてその下にパンティーをつけて外に出る変態やろうだとしよう。

 

そして女は男に対して変態じゃんって言うとする。

 

でも女もスカートとパンティーをつけているわけですよね。そしてブラジャーまでつけてるわけですよ。

 

そこで男はこう返すわけだ。「じゃ、お前も変態だな」って。

 

 

なんか前々から思ってたんですけどね。ジェンダーとか関係なく。

 

コスプレって恥ずかしいじゃん。

 

でも女って普段からコスプレっぽい服着てるの、面白いというか、

 

コスプレディズニーとか、フォーマルな場でなんか奇抜な衣装は一般的にはダメって言われてるのに、

スカートとかハイヒールとか、割とコスプレ感ある衣装を、普段からそういう服を着てるが、認められてるのズルくない?

 

水着ディズニーとかも、割とね。文化的にダメとされてるけども、ゲシュタルト的にダメと言われてるけどもね。スカートと何が違うんだい? どっちも冷静に考えたら恥ずかしいじゃんっていうかね。

 

結局、線引的な問題というか、なんとなく一般的に「ここからはセーフここからはダメ」みたいな感覚的な線引にすぎないよねって。

 

 

 

うーん、なんか、こう言ったらムカつくやついそうだな。

 

なんかね、子供に対して親は「エッチなのはいけません」的な態度でいるけど、じゃあお前らはどうやって俺を産んだんだよみたいな。

 

そういう反抗期特有の理屈を俺は言っている。

 

なんだろう。このね。なんというか…

 

男スカートを否定するということは、あのひらひらしたりふわふわしたものを好んでつける女も否定されてるのではないかみたいな。

 

男がひらひらとしたかわいいものをつけたら変態なら、それを文化的につけている女は変態じゃん。変態率100%じゃん。

 

 

でもそれは変態とされてないということは、それすなわち、集団的な圧、すなわちジェンダーがそうさせているのではないかみたいな。

 

 

なんだろうね。結局俺は、社会から精神的に独立したいんだろうね。物質的には独立は無理かもしれないが、精神的には自由だろというか。

 

そういう、人の流れから切り離されたい、という欲がある。

 

そういう欲が他のやつにもあるんじゃないか。

 

 

 

 

まあだからといって、LGBTみたいなことを言うつもりはないが。

 

俺が言ってるのはジェンダー、男女の肉体的な性差によらない習慣について言ってるのであって、女湯に男が入るのはね。うん。

 

でも、そう考えると、じゃあ逆に性器が女ならどんなにそれ以外が男だろうが女湯に入って良いってことになります。

 

そう考えると一つ思うのですが、じゃあ、生まれつき男性ホルモンがドバドバ出てる女がいたとして、もうそいつは性器は女だけど、めっちゃ筋肉ムキムキで、どう見ても男にしか見えないっていう人がいたとして、

 

じゃあそいつはオリンピックで女枠で入って無双しているトランス女性と何が違うんだ?ってなりますよね。

 

まあ実際そういうやつはあまりいないんだろうが、なんかブサイク芸人みたいな女が、完全に男に見えるからトラブル起こしたみたいなエピソードがありますけど、

 

なんかアレに通じるモノがありますよね。結局外見なんだなと。どれだけ綺麗事を並べようが。

 

もうこれは、科学が発達して、ノーリスクの成形技術みたいなのが解決するしかないんじゃないか。今の整形は結局のところ、体を傷つけてるだけだし。

 

ヴィーガンは結局、最強の人工肉を作り出すことでしか納得できないと思うんですよね。それと同じで科学が解決するしか無いのではないか。

 

 

 

 

 

 

まあね、でも

 

こういうのは多分、俺自身が差別してるんだろうなって。

 

もうどうでもいいじゃん。

 

例えば俺がスカートを付けて嘲笑われたとて、だから何? というか。

 

人の心なんてどうしようもないし。

 

自分さえ良ければ別にどうでもいいじゃん。

 

世界には自分ひとりしかいないんだから。

 

自分ひとりなのに男とか女とか、大人とか子供とか、優れている劣ってるとかないだろ。

 

そういうことを、カリギュラっていうアニメを見て思ったんだけども。

 

なんでも叶う夢の世界から現実に戻りたいっていうのは、結局のところ他人と自分を比較して勝ちたいってことなんだろ。