自分が作り出したものに対する変異

自分はアレですよね。なんか作品とか色々作ってるんですが、割と一つ一つがこう、完璧であろう、最強であろうとするというかね。

一つ一つを100%にしがちなんだよね。

 

なんというか完璧主義というか。ンあんかこう、一つのアイデアをなんかこう、完璧な形で世の中に出したいというか、なんかこう、ね。

 

一つ一つをこう、気にしいというか。

このまま投稿してもいいんだけど、でもそれだと60%の出来だよなぁ。っていうときになんかこう、100%に近づけようとして。それまでの何倍もの時間をかけてしまう。

 

そして、それでいて、「前のほうが良かったかなぁ」と。

 

まさしくゲーム作りは、こう、一度作ったらなんかそれがミスった場合、すごい修正に時間がかかるというかさあ。

だからこそなんか色々なことをキメる際に、なんかすごい時間とか苦悩があるわけですよ。なんかAという方法を実行するためにBやCとかDもあるどれにしようかなみたいな、そういうやつがねえ。

それで決めた後にやっぱり違うのが良かったってなるわけですよね。

 

動画作成もそんな感じで色々なものをキメる際に時間がかかる。やって失敗するかもしれないという苦悩があるわけですよねー。まあ序盤でそうやってやり直すならいいけど、完成間近でみたいな感じで。

 

なんか当時のゆっくりMMは、なんかすごい硬いというか、色々と機能が足りてなかったから、なんかカットするためにすごいめんどいことをしないといけなかったというかさあ。

 

今はそんなことないけどもね。ゆっくりMM2になってからなんかすごい良くなったわ。

 

でもなんというか、完璧にしようとしすぎて、こう、結局何日も掛けて作ったやつが未完成のまま終わるっていう、そういう経験を何度もしているわけです。

 

なんかアレだよね。そういうさ、自分の弱点でもあり強てんでもあるそういう「一つの時間を掛けすぎてしまう」という欠点があったからこそ、なんか完璧主義的な考えから、「もう一個一個はクソでいいや」っていう思考になったわ。

 

なんか経験上、使ったコストに対してリターンは何も答えてくれないんですよね。

 

1のコストを掛けて作ったやつは100も万も返ってくることもあるし、

 

逆に万のコストを掛けて作ったやつが1以下しか帰ってこないってこともあるんですよ

 

ならば大量に作る、当たるか当たらないかはもうギャンブルでしかないっていうそういう思考になったわ。