「便利すぎることが良くない」みたいな風潮さあ

なんかアマゾンの配達が注文してから即届くみたいなのは、なんかデフレ、増税の影響で人手が足りなくてできないらしい。

 

それに対して「まあ今までが異常だったんよ」みたいなコメントがあるけどさあ…「今まで即届くのは便利すぎた」みたいな。

 

まあ言うてね、それは増税の影響なんよ。会社が儲からない、倒産しちゃうから人員をケチらないといけないんだけどね。

 

でもなんだろうね、すべての問題は増税が原因なんだが、

 

それを前提としてね、そもそもこの、文明批判というかさあ。

 

「便利すぎるのが良くない」「むかしはもっと苦労していた」とかさあ、

 

なんか、若干ずれてないって思うわけですよね。

 

なんか、合理性を配してるよね。感情論的な

 

いやさあ、確かによ。確かにアマゾン配達が即届くとかさあ、コンビニ24時間営業とか、そういう人がブラック的に働いて実現している便利さ自体は否定されるべきだと思う。

 

でも便利さ自体を否定しちゃいけないんじゃないかな。進歩がないじゃん。

 

つまり三橋TVとかでも言ってる通り、ちゃんと開発や効率化にコストを掛けて、ブラックしなくても便利に成るような体制なり技術なりを作るべきって思った。

 

つまり人が苦労しないで、最大のリターンを得られるように仕様。誰も犠牲にしないで多くの幸せが得られるようにしようという。そういう前提

 

だからなんといか、「貧しくあろう」っていう動きは違くない?

 

「貧しくあるか、それとも人を苦しめるか」の二択であれば、貧しくあることは正義だよね。でもそうじゃないじゃん。

 

人を苦しめずに便利になるなら言うことが無いし、実際それは効率化なり技術開発なりで実現できるんだよね。

 

農業とかも大昔と今じゃ全然違うわけだし、釜炊きや風呂とかも洗濯機とか炊飯器ができたからむっちゃ効率化されて主婦とかが苦労せずに済んでるわけじゃん。実際それはできるわけだよ。

 

実際、研究開発とかなりで効率化されてない部分はたくさんあるわけだよ。例えば介護もんだいとかもさあ、一人の人間が才能が溢れてるのに介護のために仕事やめないといけないっていうことなんて平常運転らしいじゃん。しかもきついらしいし、仲いいわけでもないっていうこともあるわけだよ。でもさあ、なんかアーマードスーツ的な感じのサポート的な感じの技術があれば、親は一人でも生活できるはずなんだよね。あるいはすごい何もしなくても自動でやってくれる感じのロボなりアームなりさあ。実際それは確実にできるわけじゃん。今の技術を進めていけば。まあ本当は若返り的な技術があればいいんだけどね。それは今後何年以内にできるか分からないが、機械で筋力をサポートとか安全性を高めるとか、そういう方向性ならば絶対にできるわけだよ。なんか寿命が伸びた結果、そういう問題が常駐化してるのにも関わらず、その解決に金をかけないってのは異常でしょう。狂ってるよ。

 

他にも農業とかさ、いくらでも効率化できる余地なんていくらでもあるわけだね。(そして政府はケチりそれにカネを出さない。れいわ新選組以外はケチることが正義だと重ている)

 

それなのに、なんか貧しくあろう、貧しいのが普通なんだ。不便なのが良いんだよむしろ、っていう動きというか、思考のパターン化なり風潮なりは、かなり危険でしょ。

 

再三言うように増税とかもさ、「このくらい苦労しないと金は稼げないんだぞ!!」っていうのを通常運転された結果、会社も潰れたし自殺者も増えてるわけじゃん。

 

だからつまりれいわ新選組を広めてバブルの景気を取り戻そうぜ。って話だよ。