エスターっていう映画の序盤で、音楽の仕事をしている主人公が、ボールを壁に打ち付けている子供の音がうるさいから注意するみたいな描写が合った。
これまあ、主人公はトラウマを抱えてるから仕方ないっちゃないんだけども
なんか俺の感覚とは別だなと思った。
俺はさあ、なんかこう、嫌いなやつが音を出すなら確かにむかつくが、好きなやつが音を出すなら許せるというか、むしろ出していいっていうかね、そこまでうるさくなければ騒音でなければ多少うるさくてもいいっていう質なんですわ。
なんかアパートとかで、上の階の奴の音が偶に聞こえるけど、なんかこう、嫌いじゃないタイプのやつだから気にならないというか。
なんというか、俺はなんだろうね。作業とか寝るのとかもそうだけど、その「作業を完成させる」とか、「睡眠する」っていうゴールに向かってはいるんだけど、それを集中しようとしていないというか、むしろ集中する必要ある?みたいな。
なんかこう、100%完璧に達成するためには100%集中する必要もあるかもしれないけど、別に40%の意識で作ってもいいというか。
その10%でも30%でもさあ、続けていけばいずれ100%、あるいは場合によっては200%とかにもなれるっていう、そういうスタンスでやってるんでね。
寝るときも「寝よう」とか絶対に思ってないわ。スマホとか見てて「あ、なんか目を閉じてじっとしてると楽だな。しばらくこのままでいよう」って思ったら朝になってる感じだわ。
だからなんかこう外部の音声で集中が乱れるっていうパターンがあまり実感がわかない。
それプラス、、なんかこう、さ。
音源の問題もあるわ。、音を出してるやつが好きか嫌いかで集中が乱れるかが変わるわ。
なんか自分の子供とかだったらむしろ癒やされると思うんだよな。
嫌いなやつが握ったおにぎりなんてクソマズイと思うんだよな。味とかじゃなくて心が不味い。
ひろゆきが握ったおにぎりとか、米農家やお米自身には済まないけど肥料にすると思う。
そういうね、汚れ、穢れの概念があるわ。
逆に赤ちゃんの押し目とか変えるのってそういうことでしょ?(育児エアプ)普通に考えたらいや汚いんだけどさあ、
まあつまり騒音的にもさあ、好きなやつが出す音なら良くねと思った。
そして偶然この切り抜き動画を見た。
【夫妻別居】実は一緒に住んでない!さくぱん!からすま夫妻の真実! (youtube.com)
こいつらとかもなんかこう、ね。
なんか許せねえわ。夫婦ってのはもっとラブラブである必要があるだろ!!!(異論は認める)
なんか子供が苦手っていう親は許せるけど、パートナーが嫌いっていう人は許せねえわ。別に子ガチャではないじゃん。お前が選んだやつじゃん。
なんか聞いてて謎にイライラするわ。別にさあ、生活リズムが合わないから別居するって、合理的でいいと思うんだけど、確かにそれがベストな選択だと思うんだけど、感情がそれに追いつかない。
なんかもう、こいつらは別に夫婦とかじゃなくて、財産共有体みたいな感じでいいんじゃないの? プラス、セフレみたいなさあ。そういう形でいいんじゃないの令和だし。
なんかデフレで感情死んでる人も多いだろうし、なんかもう何が好きか嫌いかわからなくなるよね。だから売国奴は地獄に落とすために、れいわ新選組を与党にしなければならないのだが。
なんかこう、親に対するコンプレックスがあるのかもしれない。なんかギクシャクしてる学生カップルとかもさあ、もっと幸せそうにしろよ!!!って思うけども、イランおせっかいだなこれはもうね。俺のコンプレックスだわ