「ギフテッド教育は間違っていた」について

【ギフテッドの落とし穴】曖昧な天才の定義で犠牲になる子供たち (youtube.com)

 

この動画のしゅし、ギフテッド教育が間違っていたとNPOが方針を転換した。

なんか、このギフテッド教育方法が正しいのか、経営者やら科学者やら大人を呼んで評価させたが酷評されたらしい、

 

「好きなことに集中してるけど、逆に嫌なこと、実験とか根気いる作業にすぐ諦めるやんこいつら。てかこの程度は社会にたくさんいるし。年齢の割に高いけどこの程度はたくさんいるし」

 

あと子供自身に特別感をもたせることに寄る弊害を懸念したとかなんとか。(傲慢になったりしたなのかな?)

 

あと、IQが高い=すごいことができる、というわけではなく、ただ単にそういう個性があるというだけ。すごいことをするにはそれなりのやる気なり行動なりが必要。

 

だとかなんとか(間違ってたら御免)

 

みたいな。

 

これを聞いて俺は、「うーん?それは違くない?」と思った。

 

まず、第一に「この程度は社会にたくさんいる」っていうが、でもこいつらがおとなになる頃にはもっとすごくなってるかもしれないよね? 

 

「子供の割にできる」っていう部分はもっと評価されるべきじゃないの? 子供の時点で大人と同程度のことができうるってすごくない?普通に

 

なんかこう、評価してくれた経営者なり、大人の嫉妬に見えるな。まあ気持はわかるが。

 

「自分だけは特別な存在なんだ!」っていうのは、必ずしも悪いことかな?と思う

 

例えばこういうと想像する性格っていうのは、高慢な、花持ちならねえやつじゃん?なんかアメリカのクソガキみたいな、マルフォイみたいな「俺は特別、君は凡人、だから君をいじめるね」みたいな。

 

でも違くない?必ずしもそうじゃないよね。自分を特別な存在と思うことは悪いことかな?

 

例えば羽生結弦とか、羽生善治とか、羽生つながりで天才をいったが、他にも例えばジョブスとか空の桜井とか、なんか天才って言われてる人は自分が特別だと思ってない、と思ってるわけ?

 

いや違うよね。その人達、全員自分が特別だと思ってると思うんだよな。だって実際業績残してるし。自信があるわけじゃん。

 

その自信を鼻持ちならない感じで言うことは絶対にしないだろうけど、それを口にはしないだろうが、絶対に自分の自信を持ってるよね。それはしょうがないというか、必要なことじゃん。

 

つまり自分が特別であると信じ込むこと=傲慢、嫌な奴、とはならないよね。

 

まあもちろん子供のうちは業績とかないからそういうのは無理なんだろうけどそういう自信は別にあって困るもんじゃない

 

問題は、他人を見下す、みたいなものをなくすというか、まあ実際心を操るなんてしちゃいけないことだけど、こういう態度をしたらこうなります、みたいなことを教える必要があるよね。実例を用いてさあ。ひろゆきホリエモンみたいになりたいか?みたいなことをさあ、

 

例えば刑務所とかを見に行くとかさあ、この、リアルのピリッとした、洒落にならない感じを教える必要があるというかさあ。大人の。

 

あとさあ、ギフテッド教育に付いての根本的な部分なんだが「特別な子を特別な教育」っていう考え方じゃん?これ俺は良くないと思っていて、これを「全ての子に特別な教育」っていうのが必要なんじゃないか

 

IQとかでギフテッドかどうかを判定しているんだろうが、なんでそいつらだけ特別扱いするわけ?全員特別だろ。もちろん俺も。

 

IQっていう不完全なてすとで測れない才能ってのもいるわけじゃん。じゃあ特別とか考えずに、もう全員特別であるべきというか、普通の教育をもっとブラッシュアップしていく方向になるべきなんじゃないの?

 

なんか今までのさあ、戦後から作られた今でも行われているふつうの教育方法って本当にベストなのか?

 

俺はそうに思えねえよ。アップデートしてないし、何故それをやるのか?が合理的に説明されてない。

 

例えば前に言ったけども、なんでこの知識をここで入れるのか?なんでこの技術を教えないのか?っていう、その合理的な説明がされずに一方的に押し付けられるのが今の教育じゃん。

 

それって何の役に立つの?っていう疑問に対して、「いやそれはこの技術に使われてて~」っていう回答を大人はするじゃん。

 

いやそんなこと聞いてねえんだよ。それをしってこっちが幸せになれるかが聞きてえんだよ。

別に専門的な部分でその知識は使えるんだろうけど、それは専門的なやつが知れば良いことじゃん。全員が知る必要はないわけじゃん。それよりも経済的な国債発行とか税金の本当の役割(財源ではなくインフレ対策)を教えるべきじゃん。

まあ当然さあ、読み書きとか生活で使える実用的な計算は全員に教えるべきなんだろうけど、

その教え方もわかりやすいのか?っていうのがあるじゃん。教え方自体も合ってるのかまだ精査されてないじゃん。しようとすらしてないじゃん。ユーチューブの教育動画のほうがまだ多様性がある文マシじゃん。

 

つまり、「ふつうの教育方法」は別にベストじゃないよね。

ギフテッド教育というよりも、その「ふつうの教育方法」自体をアップデートするべきなんじゃないかなと。

 

 

 

あと、なんかこう、このNPO法人さあ、「ダメだったからやめます」って言ってるけど、それ自体もどうなの?

 

例えばAという発明を擦る時、Bという問題、CDEFGHという問題が出てきて、それを解決したらAという発明は完成するわけだが、その模索というか、バグ取りをちゃんとしたのかな?それが疑問。

 

 

例えば、子供が自分が特別だと思い込み、傲慢になりがちであるということが問題なら、さっき行ったように、そういう態度を取ったらこうなるぞ?っていうしつけみたいな感じのことをして、問題は解決するかもそれないじゃん。(しないかもしれない)

 

 

ちゃんとそういうことを全部やってから「ああ、ギフテッド教育自体が無理なんだ」って確信を持ってからやめたのかな?

 

 

なんというか、ギフテッド教育自体が間違ってないと思うんだよな。だってやってることって、それぞれが好きな学習をするってことでしょ? それって何が間違ってるんだ?

 

まあ母数が小さいのと、まだ日が浅いからアレだけど、別にさあ、合理的に、歴史的に見てもそれは間違ってないわけじゃん。

 

数学の偉人とかっていうのは、数学が好きだから偉人たり得たわけだし。

結局自習なんだよ。核心となる部分は。教えるっていうことに対するなんだろう、傲慢さとか万能論みたいなものがあるけどさあ、結局自分が知ろうとしないと学習ってできないわけじゃん。

 

その部分は間違ってないと思うんだよな。

ただ問題は、「特別な限られた子の特権である」、っていう部分と、「高慢が問題ならそれを正せば良い」、っていう部分。

 

でも実際それは別段特別なことなのかな?という部分がある。普通にやられてることでしょ。好きなことを好きなだけ知ろうとするのは、別に普通のことでしょ。

 

それが一般化して、全員が天才というか、業績を出さなくても良くない? たまたま偶然好きだから深く知り、そして偶然高度な発明を擦る、っていうのでよくない? そしてその偶然をより生まれやすくする可能性を高くするために普通の教育をもっとアップデートするべきだよな。

 

ギフテッドの考え方って、特別な、限られた数人にリソースを与えてドンドン発明をさせるる、っていうイメージだったんだろうけど、そうじゃなくてこう、クラウド的に、2ch掲示板的にさあ、母数がたくさんいて、自然発生的に生まれる発明、みたいなものなんじゃないの?実際は。

 

つまり平均値とか下限を上げていくことで全体としてのその、レベルが上っていく、っていうのを考えたほうがいいのではないか。

 

そしたら従来のギフテッド像に当てはまる人間が、その中から出てくると思うんだよな。

無理やりひねり出すもんじゃなくて自然に出てくると思うんだよね。全体のレベルが上がれば。特別なもんにするんじゃなくてさ。

 

まあなんというか、ここまで言って何だけど、ここで俺が言ったこと多少間違ってることもあるかもなー。なんか不安になってきた。

 

撤退したNPO法人だってさあ、さっき「本当にちゃんと改良したの?」みたいなこと言ったけど、撤退したってことはそれなりに問題とかがあったりして、なんかこう、「できるんだけど予算が~」「評判が~」とか、別口の問題があるののかもしれないし。

 

なんかこう、エアプだからここまで好き勝手に行ってるけど、まあでも素人だから言えることってあるかもしれないし、間違ってても気にしないし、俺の意見が気に入らないってやつは、コメントとかで言うとかツイッターとかで愚痴るとかしてくれ

 

まあでもさあ、今の教育がベストではないってのは確実にそうだよな。って思う。

 

そのためにもさあ、少子化解決するためにも、一人ひとりが特別な教育を受けられるような余裕を持たせるためにもさあ、積極財政が必要なんで、れいわ新選組を応援しろ。それだけは確実。