進撃の巨人は多分おそらく反戦漫画だが、意図を理解されてない感

進撃の巨人の考察をしますが、当然間違ってる可能性もあるということを前提に見てください)

 

進撃の巨人という名作漫画がありますが、その中にある要素を大きく分けると2つあると思うんですよね。

 

一つは「漫画的な戦争」

 

一つは「現実の戦争」

 

進撃の巨人はハードな世界観なので、作中戦争、戦いしか書かれてないですが、その中でカッコよかったりギャグ描写とかの、つまり「漫画的な戦争」と、

それとは対になる「明日死ぬかもしれない」みたいなリアルのシリアスな「現実的な戦争」があるじゃないですか。

 

例えばハンジとか完全にギャグ担当じゃん。序盤に巨人研究とかいって色々やってたし、最後もなんか漫画っぽい死に方してたし。

拷問とかも爪を剥がすことを目的としてるみたいなギャグとか、芸術とかいって自分のウンコを食わせるみたいなことをしているわけですよね。

 

それからギャグ以外にもミカサやリヴァイの無双とか、巨人に変身するみたいな巨人自体のかっこよさとか、そういうバトル漫画としての要素もある

 

でもそれは進撃の巨人を娯楽漫画として成立させるための手法であって、作者がメインで表現したいのは「現実の痛い戦争」なのではないかと思うんですよね。

 

「戦争とかやめたほうが良い」っていう。そういうところがあると思うんですよね。作者的にそういう意図を感じる

 

つまり反戦メッセージ。

 

反戦メッセージとは、個人的に「カッコつけ”ない”」ということでもあると思うんですよね。

 

反戦」と「バトル漫画」は、一度に両立しないと思うんですよ。

 

例えば作中最強キャラのリヴァイとかが無双してる姿を見て「戦争はやめよう」とか思いませんよね。カッコいいじゃん。

 

でもリヴァイが腕とか失うのを見て「戦争は素敵」とか「カッコいい」とか思わないじゃん。

 

基本的にバトル漫画って面白いじゃん。

傷ついても土壇場で逆転とかさあ、「あそこまで傷ついてるのに…!なんてやつだ!」みたいな。

 

でもそれは「痛みがない」からこそ楽しいものだと思うんですよね。

 

痛みがあるからこそ人は下手に人を殴ったりしないわけで、高度な知性文明が成立しているわけですよ。逆に治安が悪い国で成功してる国とか無いわけでしょ?

 

アフリカみたいな国が文化的に遅れてるだけじゃなくて、チュウゴクアメリカとかが高度に成長しているように見えて実はギリギリだったみたいな情報が流れてくるわけですがけっきょくそれは治安が悪いからだと思うんですよね。

 

経済が本質ではなくて人々がどれだけ成果を残してるかが本質なわけですから。つまり経済さえなんとかなれば日本が最強なんですよ。

 

そして治安のベースというのは、結局他者に対する共感というか、他人の痛みを想像する、ということでもあると思うんですよね。だから日本は治安が良いと思うんですよ。内向的というか、情緒的じゃん日本って。言語的に見てもそう思う

 

まあつまり「痛み」「反戦メッセージ」は必要なものであり、人類を次のステージに進ませるために必要なものだと思うんですよね。

 

もし痛みがなければ核とか落とし放題だし天才は自分の知性を人から奪うために使うわけですよ。それって地獄だよね。蠱毒だよね。

 

蠱毒」、「戦争」、「最強決定戦」、とか、そういう戦いっていうものは、もしこれが漫画だったら面白いしカッコいいが、リアルで考えれば「戦い」ってアホでしかないわけじゃん。人から奪っても奪われるかもしれない。マクロ的に見て何も生み出さないわけじゃん。

 

それより協力して研究して何かを作り出すほうがよっぽど生産性が高いわけじゃん。「奪う」ってアホのすることなんですよね。

 

頭が悪いから戦うことしか出来ないわけですよ。実際犯罪者には頭が悪いやつが多いじゃん。

 

本気で頭が悪いやつが面白かったりカッコよかったりすることってないじゃん。迷惑系ユーチューバー的なことしかできないわけでしょ?

 

”漫画だからこそ”戦い、バトルが面白いわけじゃん。リアルで喧嘩や戦争したらアホ過ぎるわけですよ。一生の傷を残すわけです。

 

なんというか、「隔絶」しすぎていると思うんですよね。「戦争」というものに対するリアルと架空の感覚が。

 

だからこそリアルを表現する「反戦漫画」と、架空のバトルを表現する「バトル漫画」は相性が悪いと思うわけですよ。

 

そういった意味でも、「カッコよさ」「ギャグ描写」と「反戦メッセージ」は本来両立しないわけなんだけど、

 

進撃の巨人は両立して一つの漫画にしているところもあるよなっていう。シーンごとにわけてると思うんですよね。そこが本来すごいところなのかもしれない。

 

でも、みんな進撃の巨人の面白いところやカッコいい側面しか注目してないと思うんですよね。

 

だから以下に進撃の巨人の「痛み」「反戦メッセージ」の部分を列挙します。

 

 

サシャを殺したところ

加藤純一とか他の人も言ってたが、「なんでサシャ殺す必要があったん?」っていう

だが殺さないといけなかったと思うんですよね前述の前提を見れば。

「痛み」っていのはそういうことじゃないですか。もし戦争が始まれば関係ないんですよね。自分が好きなアイドルだったり、日々ネタツイートして界隈をわかせているやつも無関係に殺されるわけですよ

ヒロシマナガサキで大勢の人が即死したり、生き残っても重症を負いながら苦しんで死んでいったわけですが、その中にサシャみたいな人は大勢いたわけですよ。そういうことを作者は伝えたかったのではないか。

もしギャク的な漫画の面白さを優先するなら殺さなくていいけど、逆をいうならこいつを殺したことで俺の「反戦漫画」という説を強固なものにしているわけですよ

 

「お前が始めた物語だろ」

エレンの父親、グリシャ・イェーガーは、平穏な人生を歩むことが出来たのに、自ら戦いを選択して、そしてその後にその選択を後悔するわけです。

子供にさえ戦いを強要したくせに自分が手を下すとなったら腰が引けるっていう。最低な人間と言うか、現実が見えてなかったやつなんですよね。

その印象的なセリフとして「お前が始めた物語だろ」ってのがありますが、この言葉の真意は「無知だろうが一度決めたら後戻りできないぞ」ってことだと思うんですよね。一度手を汚したら人間に戻れないわけですよ。

一度始めたらこの先希望を捨ててずっと地獄のままだし、場合によっては自分だけじゃなくて周囲も巻き込むわけですよ。前述の通りサシャみたいなギャグっぽいキャラも普通に殺されますっていう。

これが痛みでなければ何だと言うんでしょうかねって。ギャグにできないわけですよ。

 

 

戦いを楽しんでいたキャラを後悔させる。

前述のサシシャを殺したガキ、ガビなんですがこいつもなんか「私の信じてきたことはなんだったんだ」的な感じになってるわけですよね。そして殺したサシャの家族と対面させるわけですよ。結局まあ客観的に部外者の立場で言えば、「戦争だから、そう洗脳されてきたから、歴史的に見てエレディア人は仕方がないことをしたから、だからガビがサシャを殺したのは仕方がない」と言えるわけですがでも家族にとっては関係ないわけです。

ガビ=作者みたいにネタにされがちだが、そうではなくガビ=読者なわけですよね。

 

 

 

中二病を割とキツくバカにする

イェーガーが牢屋の中で進撃の巨人のタイトル回収するところをハンジに中二病だとバカにされたり

調査団ではなく憲兵団を選んだキャラが「この国は腐ってる」的なことを言って、女キャラに「そんなこと言っても何も変わらないよ」みたいなことを言わせてるわけですよね。

これも作者が「中二病を否定」しているように見えるわけです。

厨二病、つまり「日本は戦争するべきなんだ!」「核を武装するべきなんだ!」「改憲賛成!」とかいう現実が見れてないアホを否定している描写なのではないか。

 

 

ライナーが好きなところ

作者がライナーがお気に入りと言っていたが、それは前述のガビと真逆で「現実が見えている」「現実に即している」から何じゃないかと思うですよね。

結局リアルの戦争を経験したら、ライナーみたいに壊れたり、逆に戦うべきときに戦わない、ということが自然の状態だと思うんですよね。

つまるところ「だったら最初から戦うな!」みたいなところがあるというか、エレンが語ってたように「自分から選択したらもう言い訳できない」的な部分もあるっていうか。

その結果として情けない姿を見せる、みたいな

まあでも洗脳というか子どもの選択に対してここまでするか的な部分が俺の中にはあるけども、「だとしてもそれはそいつが選んだ道だ」ってところが戦争の恐ろしさなんだろうな。

無知だろうが子供だろうが関係ないんだろうな現実では。

 

 

 

 

映画化の例のエピソード

映画化の際に監督が原作を忠実に守ったら「オリジナルを見せろ」とか言ったからクソ映画になった、みたいなエピソードあるじゃないですか

アレは、諫山創の意図として「自分の原作は面白すぎたからもっとシリアスにしてくれ」みたいなことだったのではないかと。そう邪推するわけです。

でも直接そういうこと言えない性格だと思うんですよね。だってだとしたらもっと読者に意図を伝えてると思うんですよね。

平沢進が「私をネタにするにはやめてもらいたい」的なことを空気を読まずに言い切ってたけど、割とそういうことって言えないよなってのがあるわけですよね。和を崩したくないわけじゃん。

なんというか「あなたなら自分が表現したいこと分かるよね?」っていう期待を込めて言ったけど、実際は分からなかったっていう、そういうことだったのかなと妄想しているわけです。

 

 

 

 

 

 

以上の点

まあ他にもあると思うんですが

 

とまあ、いろいろあげてきたが、結局全体のテーマとして言いたいことは「戦いを選択してもそれはお前の自由だが、お前ら戦場を知らないくせによくそんな好き勝手言えるよな。」ってことですよね。

 

「無知なくせによく吠えてらあ」みたいな。

 

 

 

ライナーやガビやグリシャみたいな境遇のキャラというか、そういう「無知ゆえに地獄の道を自ら選択しても、その無知さが考慮されること無く地獄は容赦なく訪れる」

 

 

 

作者はそういうことが言いたいんじゃないかと思うんですよね。

 

しかして、仮にそうだとしたら、なんかやはり、意図を理解されてない感があるんすよね。ネット民に。ネタにされてるわけじゃん。

色々ネタにできるのはやはり「それが現実ではないから」というか、「痛みを感じてない」からなのではないか。

 

しかして、逆にネタにされない漫画だとしたら、ここまで広まってないわけですよね。

一長一短的なところがあるが、いや、これがベストなんだろうか。

 

奇しくも、進撃の巨人を逃したジャンプ集英社は、その失敗を活かして(?)チェンソーマンを採用して、そのチェンソーマンの第二部として戦争をテーマにしているわけですよね。

チェンソーマンもシリアス寄りの作品であり、最近は戦争のリアルというか、建物が壊れて自分たちの不利益になる、みたいな。進撃の巨人のように巨大なスケールではないが、本当に自分たちの身の回りに影響することなんだっていう、そういうところが表現されていると言うか、比較すると藤本タツキ諫山創に比べてスケールが手の届く範囲みたいなところがあるよな。主人公の性格的にも対局であり作家性を感じる。

 

 

 

あと、この前提が正しければ、進撃のラスト(漫画で加筆したやつ?)が、作者的に失敗だったみたいなことを言ってたのは、納得できると思うんですよね。

 

個人的には好きなんだけどねあのラスト

 

具体的にネタバレするが、「主人公たちが色々頑張って平和が訪れたけど、何百年経過して核戦争的なもので世界はリセットされて、また同じことが繰り返されます」っていうオチだったわけですよね。

 

正直SF的というか、スケールが大きくて好きなんだけど

 

でもこれがあるからこそ、「痛み」的なものを表現するという意味では失敗だったのではないか。

 

「最後全部無になるわけでしょ?」ってなって、なんかリアリティ的なものが薄れるというか、

「最後全部無意味になるんだったら何やってもいいじゃん」的な思考になってしまうと思うんですよね。

 

でも結局それは「5億年ボタンを推しても最後忘れるんだから実質ノーデメリットじゃん」みたいな意見と同じで、

「いやだったら5億年地獄見せるけどね」っていうことになってしまうわけですよ。そんな覚悟ないでしょっていう。

 

 

 

 

でも結局ね、もし俺が今言ったことが事実だとして、作者が「愚民ども!リアルを知りなさーい!」みたいな意識で漫画を書いていたとしてだよ。

 

「おそらく作者自身も”直接的に”リアルを知らない」わけですよね。多分。おそらく

 

だからこそ、あそこまで面白く書けるわけじゃないですか。

 

おそらくあそこまで話を作れるってことは、色々と世界の歴史、戦争とか酷い事件とか勉強して知ってると思うけど、直接は見たこと無いと思うんですよね。

 

もし直接そういう紛争地帯、地獄に行った経験があったとしたら、逆に書けない漫画なきもするわ。

もしそうなら本気で狂ってないと書けないわけですよ。はだしのゲンみたいに。

 

作者自身もそういう「中二病が嫌い」だと思いながら、「自分自身も厨二病だった」んじゃないか、そういう側面が合ったんじゃないかと、

 

現に主人公エレンはそういう中二病の体現みたいな存在で、一応人を殺したくないというスタンスだけど結局やるし、かつ覚悟が決まってるわけですよね。いわば理想のサイコパスなわけじゃん。

 

前述の反戦マンガの定義としてはこれは外れてるわけです。

 

もし仮に漫画としての面白さを捨てて、反戦漫画的に痛みを表現するとしたら、やると覚悟を決めつつも直前になって「やっぱ無理だわ」ってなると思うんですよね。ライナーならそうした。

 

でも実際はライナーとは真逆なわけです。覚悟決めたら最後までやり遂げるっていう。

 

まあでもそしたら話が進まないっていう、つまらなくなるからエレンはああするしかないってのがあるし、(まあ設定的にも巨人の力でなんか覚悟決まっちゃってたってのがあるんだろうが)

おそらく作者もそれは自覚してるからこそ、中二病の体現であるリヴァイを負傷させたと思うんですよね。

 

どちらか01じゃなくて、厨二病とそうでない意識が両方あり、だからこそ戒めとしてそういう中二病を戒める表現だったり、逆に戦争を軽く見るような漫画的な表現ができると思うんですよね

 

なんか大御所漫画家の高畑留美子が「あんた恋愛したことないだろ」って言われて「恋愛しないと書けないとかw」みたいなそういうエピソードあったけど、戦争漫画にもそういうところが言えるのではないか。

 

実際経験してないからこそ、面白く書けるし、逆に怖く書くこともできるんだろうなと。サシャを殺すなどの手法で

 

実際実物見たらなんかもう、茶化すみたいな表現できないんじゃないか。レポ漫画みたいになるんじゃないか。ギャグ挟んだらなんか失礼的な感覚になると思うわ。

 

スマホでハイパーハードボイルドグルメリポートっていう漫画見てるけど本当にね…バカじゃねえの?って思う。でも彼らはそれが普通なんだよなって思うとそれもきつい

 

実際そういう世界の理不尽的なものはもうね。お話の中だけにしてほしいわ。そのぐらい酷いわ。

 

比較して日本という国の国民性というか、”治安が良い”とか”平和”っていうのがどれだけすごいことを普通にやってるかってのが分かる。

 

でもそれ故に! アホの政治家が調子に乗ってるんだよな。今の政権では確実にアメリカの犬になって日本人の生命が脅かされるし、現に災害支援をせずに無駄な犠牲を出してるんすよ。

 

はぁ…マジでマジでさあ…もうね。

 

毎日クソ情報が流れてくるんだよなあ。一般人を意味もなく貧しくすることしか考えてないんよ。本当にあいつら野放しにしたらダメだわ。選挙があるんだからもう本当に売国奴共をクビにしろ

 

それでマジで次の選挙はれいわ新選組しかないんだよなぁ。れいわ新選組に投票しよう。調べなくてもいいからマジでれいわ新選組を広めてくれ。