メトロイドヴァニア、それはなんか能力を獲得して、行ける範囲を広げていく、みたいなそういう、ストーリー重視風味のアクションゲームだ。
そんなメトロイドヴァニアをSTEAMで買いました。2つ。
タイトルはMOMODARAとhollowknight
ホロウナイトは有名だから知っているかもしれない。なんか骸骨のやつ。ちょっと可愛いヤツ。
MOMODARAはマイナーだけどやすかったから買った。
こっちのほうが原点であるメトロイドに近いかもしれないな。
だが、ちょっとネガティブの事を言うようだが…
なんかさ、メトロイドヴァニアって、俺のゲーム美学的には遠い存在なんだよな。
(美学ってなんだよ)
俺のゲーム美学とは、つまり「選択の面白さ」であると言える。
正解は状況によって変わったり、シナジー的を選ぶか単純な強さを選ぶか、そういう選択肢が、ゲーム的であるといえる。(俺の中で)
例えば、RPGも確かにゲームなんだが、RPGって漫画やアニメでも表現できるわけじゃん。ギャルゲーやエロゲなんかも、漫画やアニメのバージョンアップ版みたいなものじゃん。
ゲームでしかできない楽しみっていうのは、自分が選んだ結果が、ゲーム内の世界で効果として影響していく、みたいな。そういうことだと思うんだよな。
例えば前記事にしたgunfirereboneや、voidBastardsとか、あるいは風雷のシレンだったり、Steamの超定番ゲームFTLやnoitaとかもそう。
選択肢にストーリー的な意味はなく、自分が有利になるか不利になるかの効果なわけじゃん。
そういう点において、メトロイドヴァニアは、RPGではないにせよ、能力を増やして行けるところを増やす、みたいな。言ってしまえばRPGにおけるフラグを立てて先に進むのと、原理的には同じじゃないですか。(もちろん謎解き要素やアクション、色々なギミックとかあるけど、究極的にはね?)
だからこそ、俺のゲーム美学には反する。が、しかし…
それでも面白い!!
MOMODARAとhollowknight 、この2つ俺は全クリしたんだよな。そのくらい面白かった。(正確にはホロウナイトはオマケ要素は難しすぎて投げたんだけどな)
なんだろうね。能力を増やして行けないところに行けるようになるっていうのは、探索家魂を萌えさせるじゃないですか。
能力をゲットしたら今まで行けなかったところを総当りして~という、単純なことではありますが、そういうことを猿のオナニーのように繰り返していました。楽しかった。
結局のところ、自分はそういうことがしたいのかもしれないな。現実でも。
だからこそ楽しかった。
絵がうまくなる、神絵師という能力を手に入れて、どんどん収入が増えて、どんどんできることが増えていって、とか。
まあ絵の限らず何でもいいんですけどね。不労所得で金が稼げれば(テヘペロ)
あとメトロイドヴァニアは、アクションも含まれるというのも自分にはあっていた
特に移動技でシュッと避けるのがね。良いんじゃないかな。俺リアルではスピードタイプだし。(ブロンド語)
ボス戦で、徐々に技を見切ってうまく合致したときもいいし、動きに対応できない的にゴリ押しと物量で責めるのも良い。(ちょっとズルいが)
あと、メトロイドヴァニアの良いところって「終わりがある」ところにあるとも思っている。
ボクのゲーム美学に合うゲーム、前述のGunfirereboneとか、noitaとかって、言ってしまえば終わりが曖昧なゲーム性が特徴じゃないですか。
いや一応クリアはあるんだけど、周回プレイで難易度が上がっていくみたいなね。
ゲームシステムが上手く出来ているぶん、製作者も使いまわしたいのかは分からないが、「無限に強くなっていけ…!」「修羅道を行くのだ…!」というタイプじゃないですか。
だからこそ面白すぎるのもあって、無限にやってしまい、「飽きてるけどシステムが良く出来すぎていて手癖でやっちゃう…!もうアンインストールするしかない」って感じなのよね。
(っていうか難易度が俺の能力を超えていき、死ぬのが当たり前になって嫌になるのもある】
でもメトロイドヴァニアは、「あ、もうそこで終わりですよ?おつかれっした!」ってのが多い気がする。というよりも自分の中でそう区切りをつけやすい。
もうこのゲームは完全クリアした!俺の勝利だ!って言うふうに、気持ちよくなれる。
そうすることで、俺はさっぱりと次のゲームにイクことができるんですよね。
つまり切れのいいうんこなんですよメトロイドヴァニアって。
出した後が気持ちがいい。