女体とその人格について。~エロ広告規制についての心理~

男の子って、女の子が好きだよね。

 

自分も好きだし、好きだったんだけど、

 

人って生きていく上で、それに対して一つの認識の改めが起きると思うんだよね。

 

まあそれは男女どちらにも起きることだと思うんだけども。

 

まあ、まずは順番に言っていこう。

 

まず男の子は性欲が強いじゃん?

 

いやそんな生々しい言い方をしなくても、例えば初恋だとか、クラスの女子が気になるだとか。あるいはエロ本を拾ったりネットでエロ画像を検索したりするじゃん?

(まあそれは性欲の強い女の子も同じことだろうけど)

 

つまり、実在の女子に対して、「あ、あの子いいな…」「将来結婚したいな…」とか思うわけじゃん。いともたやすく。

 

そして、告白するわけじゃん?「付き合ってください!」って。

そしてあわよくばエッチなことしたいと思うじゃん?

 

ここで相手も男が好きならそれで幸せだけど、違う場合もあるじゃん?むしろ違うときのほうが多いじゃん?

 

そして男の子は「ガーン!」ってなるわけじゃん?ショックじゃん?

そして落ち込むじゃん?まあそういうことが多いよね。

 

 

でも、一部の人、あるいは大多数も心のなかで少しは思ってると思うんだよね。

 

女の子を好き勝手にできないって…なんだよこのストレス!!ばーかばーか!」

 

みたいなね。

 

まあ完全に子供だけども、正直これこそが、人の本質だと思うんだよね。

というかまあ大多数がこういう理由のショックだと思う。

 

ミギーじゃないけど、人の初恋だったり愛だったり言うのは、その根本には性欲があると思うんだよね。(あくまで根本的にだから、その動物的な強い欲求を強い理性で支配しているのが普通の人間だけどね。)

 

だからこそ、初恋だの告白だの、愛情だの結婚だの、貞操だのなんだのっていうのは、つまるところ「異性を好き勝手したい、性欲の赴くまま支配したい」という感情だと思うんだよね。

 

 

まあこれは否定意見もあるだろうけど、先に進める。

 

だが俺はさらに続けて、こう思ったんだよね。

 

「あっ、女って、人間なんだ」って。

 

 

そう、今まで女の子に対して、あくまで「女体」としてしか扱ってこなかったと思うんだよね。そこに人格はないわけじゃん。本人の認識的には。

 

あくまでそれは「エロいもの」「良いもの」でしかなく、つまり「置物」でしかなかったんだよね。性欲のほうが強すぎて、そこに人格というものがあるとは、気が付かなかったわけじゃん。

 

でも実際には人格ってあるわけじゃん。っていうか人間なわけじゃん。

自分と同じ人間なんだよね。

 

 

と、ここで、

「じゃあ女の子に対して、エロスを感じることは、女の子を人間扱いしてないわけだから良くないよね」

「じゃあエロスを感じるのはやめよう!」

 

 

てはならないわけじゃん?

 

普通に依然エロスは感じるわけじゃん?。

 

つまるところ、女体(エロス)と、その人間性(あるいは知性)は、別物だと考える必要があるよね。という話。

 

 

まあ身も蓋もない言い方をすると、結局のところ、女体というのは、単にある一定の分子の並び、つまり形に過ぎないわけじゃん?

 

例えば、海岸を歩いていたら、そこにあった岩が、ある角度から女体に見えるという、その程度のことでしか無いわけじゃん。

 

その「女体」をたまたま女の子は持っている、という考え。

 

そうすれば、女体と人間性を、同一のものとして認識せずに済む。

 

また、あるいは、エロ漫画の女の子とかあるいは思春期の男の頭の中にある女の子像は、人間性がない。だから好き勝手できる、そういうことだよね。

 

 

 

 

そう、つまりまとめると、

 

リアルの女の子とは、「女体」と「人間」が両立している存在と言えるわけで。

 

そして、逆に、リアルじゃない女の子、

つまり二次元の女の子とかは、逆に「女体」だけが存在する、「人間性」の存在なんだよね。

 

 

 

 

 

 

このことを踏まえると、昨今のエロ広告規制騒動って、また違った見方ができると思うんだよね。

 

奴さんの言い分はつまりこうだ。

 

「男どもは私達女性の所有する「女体」を不当に使用している!だから規制すべき!」

 

みたいな。

 

まあそう言ってはいないんだろうけど、感覚的にそうなんじゃないかなって。

 

まあ自分が奴さんだったら、自分の武器を他人にも使われるわけだから、言ってしまえば戦争における機密の情報流出みたいな感じだよな。

 

そう考えると、女が女に厳しいというのも、分かる気がする。

 

女は自分の武器である「女体」を使う敵が許せないんだから、そりゃ同じく女体を使用できる敵の女を攻撃するよねっていう。

 

まあだからなんだって話なんだが。

 

でもさあ…これって何がしたいんだろうね。

 

敵を殺したところで自分が得するわけでもないじゃん。戦争と違ってさあ。

 

 

 

なんというか、この騒動で騒いでいる人って

 

相手の人間性を認識できなかった人(あるいは人間性を認めたくない人)

 

なんじゃないかって思うんだよね。

 

 

 

前述したように、俺は、女の子が女体と人間性、2つを持っている存在だと気がついたが、

 

逆に、それに気が付かない人もいるんじゃないか、みたいな。あるいは気がついてもなかったふりをする人もいるんじゃないかみたいな。

 

つまり、例えばヤリチンとかヤリマンみたいな人は、相手を性欲の対象、女体(あるいは男体)としか見ていないわけじゃん?

あるいは、そこに人間性があっても邪魔だと感じるやつもいるわけじゃん?

 

まあヤリマンヤリチンでなくとも、異性に奥手なやつもそう思っている人もいるかもしれないよね。異性との会話がなく、ただ憧れて眺めているだけじゃ、そのエロスの奥にある人間性って気が付きにくいじゃん?

 

 

この、エロ広告規制騒動の話もそんな感じなんじゃないかなって。

 

男は理想通りに動いて、自分の満足行く行動をしないといけない存在みたいな理想を持っている人からすれば、こういう行動を取る人って自分が見捨てられている気がするじゃん?阻害されている気がするじゃん?

 

なんというか、この記事では、男目線で語ったけど、

 

女側も同じように、男に対して求める機能と、その人間性、その2つが同居している存在であるということを、気が付かなかった人もいるのかなって。

 

 

 

 

 

まあ、

そういう理屈を提示したいよね。

 

別にツイファミに対して攻撃的な事を言ってもいいが、それは飽和状態だからね。

 

こういう考察もしていくべきなんじゃないか。