ルソーについての記事のついてのレビュー

アンリ・ルソーとは|40歳を超えて独学で画家になった天然の才能|ジュウ・ショ(アートライター・カルチャーライター) (note.com)

 

このブロガーの人、他にも面白い記事を書いてるなと思って少し見ていたんだが、この記事を見て、すごい良いなと思ったわけよ。

 

アンリ・ルソーについての記事

 

アンリ・ルソーとは昔の画家であり、独学で絵を書いて

表現方法とか、当時は「写実的じゃなければ絵じゃない!」「いや芸術ってそういうもんじゃないでしょ」っていう論争が巻き怒っていた時代であり、そしてルソーの画風がその次代にマッチして有名になったっていう、

 

あのなんだっけ耳切った画家いるじゃん。あの人とかは生きている間はあまり有名になれなかったんだが、このルソーという人はそういう生き方じゃなくて、すごい楽な生き方というか、

 

まず運が良かった。前述の通り時代にもマッチしていたし、仕事をしながら日曜にだけ絵を描くっていう人で、仕事をやめてからも年金ぐらしをしながら絵を書いていたっていう、

 

なんかこう、絵一本で食っていくっていうのも夢ではあるんだが、他に収入があるっていうのも安定感があっていいよねっていう、そういう人なわけですよね。

 

 

それで、この記事で面白い部分があって、「習うことは呪いなのではないか」みたいな、そういう事が書かれていた。

 

習うということが、逆に言えばそれしかかけなくなるっていうことであり、独創性が失われると。

 

なんか芸術って上手い下手じゃないじゃん。芸術って情熱じゃん。みたいな、

それはそう。

 

芸術っていうのは、なんというかビジネス的になったら、うーn終わりじゃないけどさあ、なんか芸術っていうよりもブランディングというか、アイドルというか、

 

いやね、アイドル化は避けられないんだろうね芸術家っていうのは。それはそうかもしれないな。

でもアイドルは量産されてるからこそ、それぞれが没個性化しているのもまた事実だよね。

 

なんか前に折れが書いた記事で、「技術を持ってないやつは認められん!」みたいな感覚が芸術の世界にあるよね。っていう記事を書いたんだけどもね。

日本の大昔の絵には影がない、という疑問に付いての考察 - animeHyoukaのブログ (hateblo.jp)

 

 

たとえば、超有名な音楽家が3分44秒という、無音の楽譜を書いて、それがウケているみたいな。「でもそれは技術のある音楽家が書いたから価値があるものであって、素人が書いたらただのすべり芸」、、みたいなことを言っている人がいたんですよ~、なーにぃ!?

 

それに対して俺は 「↑いや違うよね。同じだよねどっちも」。っていうね。そういう意見なんですが、

 

なんか結局3分44秒っていうのは、そういうハロー効果的なもので「素晴らしいもの」と人々が認識したからこそ、商業たりうるのではないかと。

 

なんかそれってやだなって思うわけですよね。芸術なんだから情熱で語れよみたいな。長いものに巻かれないでほしいというか。

 

なんかこう、芸術っていうのは、誰にでも素人だろうが子供だろうが誰にでももんこが開かれていてほしいっていう思いがあるな。

 

だからこそ、ルソーは最初バカにされていたけども、なんか彼のファンが「何故わらうんだい?」みたいな感じでかばう気持ちが分かるなと。

 

 

それでね、彼に対してもう一つ思うところがあるんですがね。

 

彼の絵っていうのは、彼の精神性をよく表しているというか、超個性が出ているわけじゃないですか。

つまり、彼はこの絵以外書けないわけですよ。そして彼以外もこの絵を書くことができない。

なんかそういうのって、そういうね、彼の魂というか、人生を表しているというか、まるで一人ひとり違う、指紋みたいな、そういうね。アイデンティティを表していると思うんですよね。

 

それで思ったんだがこれって別に特別でもなんでも無いのではないかと。

なんか偶然彼が絵描きを始めて、誰にも習わずに個性的な絵を書いたからこそ、こういう絵が市場に出回ったわけですが、もしかしてそこらへんの一般人を捕まえて、強制的に絵を書かせても、超個性的な絵が生まれるんじゃないかと思うんですよね。

 

ルソーはただ運がよくそのポジションを手に入れ、その結果個性的な絵が世界に生まれたわけですが、本来個性っていうのは普通の人も普通に持っているものだから…

 

例えばなろう系っていうね、素人が小説を書くサイトがあるんですけど、小説に関しても個性って出るわけじゃん。

そして素人が書いている=人口が多い、個性的なものが生まれる、みたいなね。

 

そして人口が多いほど、その中に金脈が埋まってる割合が高いわけじゃないですか。

 

つまり素人がなろう界隈を支えてると思うんですよね。

 

なんかかこう、素人がでしゃばれないコンテンツは衰退するんじゃないかと思ってしまうわけですよね。

 

なんかコンテンツの一生っていうミームがあるんですけど「まず面白い人がはいってきて、次に面白くない人がはいってきて、面白くない人が出て言って、コンテンツは衰退する」みたいな

 

それ違うと思うんですよね。

個人的には納得言ってないわけです。

 

素人はウェルカムにならないとダメでしょ。

特定のコンテンツを天才だけで回すってできないと思うんですよね。

素人の作品を見たくないなら、ランキングとかあるわけでしょっていう。

 

 

まあね、こういうこというと、AI拓也界隈でも、なんか色々とヤベーやつもいるけどさ。ああいうやつを引き合いに出すやつもいるけど。

まあしゃーなくないですかねっていう、コンテンツが発展するとそういうやつも集まるでしょ。

こういうのを取り締まるためにNG機能とか管理者権限とかあるんでしょっていう。