幸せなことについこないだのことだ。
何もせずに、無意識に考え事しながらぼーっとしてたのさ。
PCもせずにスマホもせずに。
以前の俺なら考えられないが、なんか安定してきている。心が。
なんか前まで、俺はなんというか無限の可能性に対して自分の心を蝕まれていたわけですよ。
人は常にあらゆることを考えることができるじゃないですか
水がないところでも水を創造できるし、食べ物が無くてもごちそうを考えることができる。
ということは、常に辛いことも考えることもできる。
気持ち悪い生き物が善良な人間を無自覚に食い殺すところも想像できるわけじゃん。
なんかさ、そういうのって現実で実際に起きてるんだけどね。
生まれつき金持ちに生まれた醜い人間以下の生物が、政治家になって勤勉な国民を苦しめているわけじゃん。
でも、そういうことをいっときは忘れたいじゃん。
でもそういうことを考える事もできるんだよね。リラックスしたいときでもさ。
それって嫌じゃん。
そしてそれを止める方法は、ナニカに集中するしかない。
でもそれは疲れる。常に何かに取り組み続けることなんて出来やしない。
夜眠る時、シャワー浴びる時、歩く時、辛いことを思い出して辛い。
でも最近は気にしなくなってきた。
何故なら、自分はオリジナルの地獄を作り出すことができるようだ。
そのつらい記憶をそれよりも上の地獄で上書きできるようになった。
それは喜ばしいことだ。
俺は以前、そういう辛い記憶を、一切合切抹消して、まっさらな状態にならないとリラックスできないと思っていたのだがね。
しかしそれは間違いなのではないかと思ったのです。
別に汚いものを想像していようが、また別の汚いもので上書きできるわけです。
何か気持ちが悪いものがあるなら、それ以上の気持ちが悪いものを生み出して、戦わせれば良い。
自分が作り出す分だけ、1兆億倍マシなのである。
そういう感じで俺はぼーっとすることできるようになった。
以前ならボーっとなんてできなかったわけだからな。
まあとはいっても、ほんの1分程度、
そこで俺はふと思ったわけです。
「俺の生きてる意味って「試す」ことなんじゃね?」って
最近俺は、色々なことに手を出して、「あっ、ダメだこれ」ってなって手を引いたり、ひかなかったりしているわけんあんだけどもね。
儲からなかったり、自分のやる気がいまいち出なかったり、そういう感じで、俺が副業で儲かるためのものをね、探しているわけです。
だって実際にやってみなければ、それが儲かるかどうか、自分に合ってるかどうかなんてわからないじゃないですか。
そして失敗というか、希望を持てなくなって辞めて、の繰り返しなわけですよね。
なんかそれを繰り返して、正直嫌になってきたというか、そろそろ正解を見つけたいと思っていたところなんですけどもね。
でも俺は、コレを臨んでいたのではないか、と思ったわけですよね。ふと。
俺は試すことをしたいだけなんじゃないかと。
なんか俺って、幼稚園とかそのぐらいのときに「俺は天才じゃないんだ」ってそういう感覚になったわけなんだけど、だからこそ自分が持っているものを100%試してから、そしてから全部諦めようと思ったわけなんですがね。
だからこそ試すっていうのが自分にとって重要というのもあるんですが、
なんかこう、「試す」っていうことに、その瞬間、すごい尊いと思ったんですよね。
だって試すっていうのは、すごいなんというか、可能性が高いわけなんですよね。客観的に見ても。
科学っていうのは単純に試すっていうことの繰り返しなわけじゃん?
仮定とかを立てて、それを試す、そして次はどうするかを考えるっていう、TPPなんとかサイクルの繰り返しが科学なわけじゃん?(多分)
そのおかげで今人類はすごい力を手に入れてるわけじゃん。
客観的に、社会的に見ても試すっていうのは、そういう力があるわけなんだから、俺個人というもので「試す」ということを続けていたら、その「力」は俺だけのものじゃん。
まあ実際ね、Vtuberとか、あるいは巨大掲示板とか、そういうインフラ的なものの先行者はすごい富を手にしているわけでね。
まあ富以外にも、もっとこう、スキルとか、そいういうものに俺は興味が強いんですがね。まあ富も欲しいんですが。
そういうね、カネに目がくらんだそういう考えもあるんですが、なんというか、その「試す」という行為に対して、単純に希望があったわけなんですがね。
そしてその試すを、もっとたくさんやるために、もっとこう、瞬時に判断し、瞬時に撤退し、というふうに
もっと手数を増やしたいと思うわけなんですがね。
最近俺は理想通りに動いていないような気がするわけですがね。
それができるようになりたい。