欲望の果て

というなんかカッコいい記事のタイトルをツケたが、なんか最近思ったことが有る。

 

俺はニコ厨で、ニコニコ動画は元よりニコニコ漫画も多少は見るんだが、ニコニコ漫画では今流行りの、というかもう定番とかしたなろう漫画が連載されてるんだ

 

「ヒャッハー!新しいなろう漫画だぁ~、バカにしてやるから見てやるよ!!」っていう、そういうツンデレコメントたちと見るからこそ面白いみたいなところがあるよな。

 

ダメなものほど見たくなる心理。

 

あとなろう特有のゲーム要素。ゲーム知識ってなんか楽しいじゃん。なんか攻略本とかゲームしないのに見て面白いじゃん?

 

だから結構面白いと思うんですよね。

 

でもさあ、結構な頻度で新連載するから、全て追えないわけですよ。

 

俺は別のことに集中していたわけですわな。だから見落としていたわけですよ。

 

んで、ニコニコ漫画は公開後一定時間で非表示みたいな、そういうシステムで、1話2話と最新話とかは常時無料公開だけど、それ以外はもう漫画買ってねみたいなノリのタイプのシステムなわけですよ。

 

だから、途中で面白いニコニコの漫画とかを見つけても、もうすでに50話とか進んでるから、1話2話読み進めて、最新話を見るわけですよね。

 

つまりその途中の話が読めないというのが不満なんですよ。ポイントとかでも購入できないシステムだし。

 

「あの時ずっと監視してればぁ~!!」って思うわけです。コメントと一緒に最新話まで見れたわけじゃん?

 

俺は最近そういうことを思った。

 

だが同時に俺はこうも思った。「正直ど~~~~~~~~でもいいや」

 

なんかさあ、こういうの果てがないわけじゃん。

 

なろう小説とかも、星の数ほど漫画があるわけでそれに時間をとられてらんねーっすよね。全部を捉えるのは無理じゃん。

逆に言えば時間を取ってまで見たくなる面白い小説は読むべきだけども、

 

なんかさあ、最初はそういうね、「小説でゲーム要素!?」「無双チート!?」「最高じゃん」みたいなさあ。最初はそのアイデアだけで100点だったわけっだけども。

 

なんかもう色々とテンプレ化してるわけだから、その要素が楽しいとしても30点とかそのぐらいの満足度になるわけっすわ。

 

だからもういいやみたいなさあ。それよりもそれ以外でやらないといけないことがあるわけっすからそれ優先になるよね。

 

それでこの感情、なんかアレだな。悟りじゃんって思った。

 

まあ俺は別に欲望は捨てる気はないが。

 

なんか、そういうね、節制して悟りを開くっていうムーブメントの他に、美味いもの食べて快楽を貪って悟りを開く、みたいなムーブメントがあったとかなかったとかどっかで聞いたことが有るわ。なんだったっけ。

 

まあいいや。とにかくね。

 

なんかそういう、悟りっていうのは、全ての欲望を捨てる、とかよく言われるけど、全ての欲望を捨てる必要はないし、また欲望の種類とか扱い方によっても悟ることができるのではないかと。

 

なんかこう、結局のところ「悟り」というものは、あくまで俺の中の解釈だが「徹底された合理性」だと思うんですよね。

 

なんかこうさ、よく坊さんとかが「私あh悟っているのか!?」「悟っていると思っている間は悟っているうちに入らない!」だとか、そういうなんかこう、悟ってる悟ってない論争があるわけですがね、そういうイメージがあるわけですが

 

結局のところそれは言葉遊びに過ぎないわけじゃん。

だって悟りというものの定義すら確率してないわけじゃん。AとBが捉える悟りが全く別のものと言う可能性もあるわけじゃん。そんなんで何かを追求することなんてできないよ。

 

だが彼らが言うところの話を断片的に見て、さらに自分の理想を加味すると、結局のところそれは「合理性」ということに行き着くわけですよね。

 

つまり「どうすれば人生有利にできるか」ということ。つまりコスパなんだよ!悟りって!!

 

俺様はそういうことを昔から考えていたわけですよね。なんかこう、みんな漫然と生きてるけども、もっといいやり方があるんじゃないのか?なんでそのことを話さないのか?みたいな。

 

つまり欲が強い。欲というか、自分が持っているものを100%使えるようにしたいというか、ベストな選択を取りたい。何も失わず全てを得たいと。

 

そのために俺は理想になるように頑張ってきたが、やり方が間違ってたから失敗した。

理想的ではあったが、そのやり方が自分に合ってなかったわけだよね。俺は完璧主義者だったが、それを達成するだけの能力がなかった。

 

だが最近やり方の正しさの一端に届きつつ有るような気がしているのです。つまり結論から言えば木を見て森を見ず!ってことだよね。木を見て落ち込むな!森を見ろ!と。マクロ的に見ろと。

 

なんか最近俺は、「ダメだったらダメでいいや。できるだけダメにならないようにするけど」みたいなあまり失敗が気にならなくなってきている部分がある。なんというか欲が変わったというか。

 

欲自体はあるが、欲の種類というか、ベクトルが変わったと言うか。

 

以前の俺は10個中1個がダメだった場合「ダメだぁあああ」ってダメなことしか頭になかったわけだけども、それはおそらく欲が強いというか理想が強いからなんじゃないかなと。

 

かつての俺はなんかこう、最初からトップスピードで100点を取る、そしてあわよくば120点を取り、それを維持し続ける、という感じの理想があってそのためにむっちゃ疲れる、そして疲れてたらろくに効率化もできなかったわけですが、

 

今の俺はああこのくらいなら30点取れればいいか。最初から取れないし徐々に上げていけば良い。そしてコストを減らしていけば良いみたいな。

 

そういう自分の限界を見て長期的に見て上げていこうとするみたいな。

 

最近の時事的に言うならば、ヤッテモーターの副社長も、なんか昔は普通だったのにむしろ良い方だったのに現在ではゴミになってるみたいなことを、かなえ先生っていうVtuberが「親からいきなり高難易度のゲームやらされて失敗して、理想と現実のギャップから闇落ちしてんじゃね」みたいなことを言ってたわけですよね(まあそれがこいつの本性で、今まで隠せてただけだったんだろうと)

 

おそらくこいつは失敗にダメージ耐性がなかったわけですよね。普通人は失敗して最初は一億とかの精神ダメージだけども何度も失敗を繰り返して100ダメージとか10ダメージとかそういう魔防力を得ていくわけですが、こいつはおそらくそのダメージの体制がなかったわけで、

今まですべてがうまく言ってる分、ちょっとのミクロ的な失敗で何億ものダメージをウケていたわけじゃん。だから全体的にも失敗した。もう無理ぽ。

 

だが俺はこう、失敗を何度も繰り返して魔防を上げて、かつ諦めなかったからこそなんかこう、最近はちょっとの失敗に甘くなれた気がするわ。なんかマクロ的に見れる様になった感。

 

そしてそれは最初から出来てるやつもいるんだろうな。

「いやこれちょっとの失敗でしょ」で片付かることができるやつもいて俺みたいに出来ないやつもいる。というか今でさえ若干出来てないと思うわ。いやかなり出来てないね。

 

もっとこう、少ないコストで大きなパフォーマンスにするために、なにかこう、無駄に執着するは辞めるべきだよ。他に有利なことがあるでしょ。この記事をかくのもなんかまだコスパが悪い気がするわ。