前回、俺は記憶曲線、いや忘却曲線だっけ?それを記事にしてくっそどうでもいいことを言及したわけですがね。
そのことについて思ったことがあった。
つまり、前に記憶したやつ、記憶した時期が遠ければ遠いほど覚えているみたいな。
昔に覚えてたやつが割りと覚えてるみたいな。
その感覚ね。
なんかその現象を、「精神の庭にて熟成された」みたいなそういう表現でやったわけなんすわ。
つまり、脳みその中にある情報の最適化みたいな、そういう最適化をするために、一旦休む必要があるのだと。遠ざける必要があるのだと。
私はそう仮説を立てたわけなんだが。
でも違うんじゃねーかって思ったわけなんですよねふと。
結局「思い込み」なんじゃないかと。
何かを記憶する、記憶しないっていうのは結局、「それができる!!」という確信があるかどうかなんじゃないかなって。
つまり精神力、いや精神”力”というほど、力ではないのかもしれない。
力ではなく、ベクトル、というか、その記憶する対象に対する認識が問題なのだと。
つまり、何故俺が英語とか勉強が覚えられなかったのかと言うと、それが「つまらない」とか「難しい」とか、そいう評価をしていたから苦手だったのではないかと思ったわけなんですわな。
逆に好きなものは記憶しやすい。普通に好きだから触れる機械が多いのもあるだろうし、単純に好きなものほど記憶しやすい傾向があると思う。
俺がそう思ったのは、ゲームをしていたからなんですわな。
俺がスレイオブスパイアっていうゲームで、攻略情報とかを見て遊んでいたんだけど、やっていくうちに攻略情報が記憶できてくるわけですわな。
でも俺が毎朝日課にしている英語学習は、何度もやっても何度も間違えるわけなんですわ。
この2つの違い、何が違うかと言うと、好きかどうかなんじゃないかと思うんですわな。
まあ単純に何度もやってるかどうかも関わってると思うけど。
やっぱり面白いのはカードゲームですわな。カードゲームが楽しいと思ってるから、だから記憶しやすいのだと。
英語学習のほうが、単語を覚えていくわけだけど、俺は別に単語が好きというわけじゃない。だから覚えられない。なんかやる気が出ない。つまらん。でも英語覚えたら頭良さそうに見えるし、お金を稼げるかもしれないのでやってる。
つまり、「対象に対する感情も記憶に関係する」のではないかと。
「好きなものは覚えやすく、嫌いなものは覚えにくい」、説。
もしこれが正解だとして、どういうことが起こっているのか。
例えば英単語を一度覚える、何度も書いたりして完全に覚える。
そしてそうやって覚えると体力を消費する。
この時点でその単語に対する嫌悪ゲージが溜まっていくわけですわな。
だから、覚えれば覚えるほど、記憶効率が下がってくる。
体力も消耗するだろうが、何より精神的に嫌悪が勝ってくるわけですわな。
だから休んで、嫌悪ゲージを下げる。
そして再び再チャレンジすると、前回よりも記憶しやすくなっている。
こう考えることもできるんじゃないでしょうか。
つまり、何かを練習して、上達するとか記憶するとかっていうのは、その対象に対する感情を管理したら効率よくできるのではないかと。
まあ理想を言うなら、好きになることが大事で、それができなければせめてもっと嫌になる前に休むってことが大事なんじゃないかと。
また、ドツボにハマるパターンみたいなのもあるだろうな。
例えば「自分はこれが苦手」「これはできない」というそういうイメージと言うか思い込みが出てくるわけじゃないですか。
それを消すには休んだり、他の人が当然のようににやる様子を見るってことが大事なんじゃないかと思う。
なんかさあ、言葉がしゃべれるとか、二本足で歩けるとかいうのも、普通にすごいことというか難しいことらしい。でもそれが当然のように出来ているのは、みんながやってるから大したことないスキルなんだろうって思い込んでるからだと思うんだよね。
そういう側面から見ても、、人のその熟達者の動きを見るということが大事なんじゃないかみたいな。
逆に難しいことができないのは、それを「難しい」というイメージを周囲の人がおもってるから自分もできないだろう、という思い込みがある。もしくは周囲の人が出来ているのに自分だけ出来てないみたいな劣等感みたいな。
そういうイメージを払拭すると言うか、一旦リセットするために休むということが必要なんじゃないか。
まあ当然脳内でそういう処理の効率化みたいなのが行われているみたいなそういう側面もあるんだろうが、
なんかこう、上達っていうのはその具体的な動作を学習するっていう以外に、そういう「できない」ってイメージを「普通にできるっすよ」に変化させる側面もあるなって。
だってなんかできないときっていうのはこう、雑念があるじゃないですか。「できたいっ!!」「でもできないっ!!」それが一番無駄。