俺が思う魔術における代償とは、普通の人にも納得できるものなのではないか。

アンデッドガールマーダーファルスというアニメを見ていて「魔術には代償が必要」だとかいうセリフがあった。

 

そして、うみねこのなく頃にとかにも同じセリフがあった。「魔術には代償が必要」だと。なんかこう、魔術が関係するアニメとかによくいわれるやつ。

 

よく聞くから、多分これはそおらく、元ネタの魔術に由来するものだろう。

 

魔術は存在しているらしい。

 

というか、まあそれで実際にハリーポッターの世界みたいにモノを浮かせるだとか不思議なことが起こせるということではないだろうが、

 

実際にそれを信じているというか、学問のようにそういうのがあるらしい。

なんかどこかイギリスだとかどこかでは本気でやってる人とかもいるらしい。文化として存在しているとかなんとか。

 

まあ、日本でいうところの呪いというか、釘で藁人形にくぎを鬱だとか、あるいはこっくりさんみたいなものだろうね。

 

こうすると幸運が舞い込むとか、この儀式で未来を見通せるだとか、タロットとかそういうもの。

 

そういう魔術という儀礼というか、学問的な体裁をしてるらしいよ。

そういうと本気で信じてる人からは文句を言われるかもしれないが。俺的にはそういう解釈だ。

 

魔術は俺的にみれば全く学問ではない。そういう風に好き勝手できるんなら全世界に広まってるはず。

だが「学問的」であるということに価値があるんだと思う。その理由は後述する。

 

 

そして話は戻るが、「魔術には代償が必要」という基本ルールみたいなのがあるらしい

 

それについて俺は一つ思うことがある。

 

魔術に限らず、割とそういう感覚ってあるよなって。

 

普通に暮らしていて、「何かを求めるには何か代償が必要である」っていう感覚

ありませんかね?

 

感覚というか、なんかあるじゃん。うまくいった後には失敗する可能性が高くなる、みたいな、うまくいきすぎて怖い、みたいな。

 

俺が前から記事で言っている陰陽論があるじゃん?

 

光を摂取しすぎると闇を摂取したくなる、みたいな。

 

これは別になんかこう、オカルト的なエネルギーとかではなくて、人の精神的なものである。

 

オカルトではなく、100%客観的に説明できるもんなんだよな。

 

例えば、あなたがいきなり1億円宝くじが当たった渡されたとして、それで幸せになれるかどうかを考えてみてほしい。

 

よく聞くこととして、なんか宝くじがあったら金銭感覚バグって浪費してしまい破産してしまって、宝くじが当たる前よりも貧乏になったとか、よく聞くは無しじゃん。

 

つまりいきなり100億という強すぎる光によって、なんかぶり返しが来たというか、リバウンド的に不幸が来てしまったみたいな。

 

そういう感覚。

 

まあそれは曲論だろうが、なんかあるじゃん。

楽しすぎることがあると逆になんかつまらないことをして休憩したくなるとか。

 

苦労もせず、やることなすことがすべてうまくいく。そういうことが起きる。

そういう時、人の心は不安定になると思うんですよね。

 

何故なら「それを経験してないこと」「非日常」だから。

 

それで「これは何かの前借なのではないか」「今日俺は死ぬのではないか」と不安になるだろう。

 

だからこそ、なんか少し悪いことが起きて帳消しにならないかなと思ってしまうものだと思うんですよね。

 

なんかこう、人の精神にはそれぞれステージがあって、幸せのステージが低い人は、ちょっとした幸せで心のキャパシティが満杯になって不安定になるし、

 

逆にステージが高い人はちょっとの幸せでは満足できなくなり、より金を稼ぐとかそんなことしても常に乾くみたいな。

 

とにかく誰しもそういう、自分の基本の幸福の量を維持する仕組みがあると思うんですよね。

 

その基本の幸せよりより上すぎると幸福すぎて不安定だし、下すぎると乾いてしまう。

 

だから、幸せすぎることが起きると、不幸なことが起きないか不安になるし、むしろ自分から余分な幸福を捨てる、みたいな。

 

それこそがまさに代償だと思うんですよね。

 

ハンターハンターの念能力の代償みたいなもので、自分のキャパシティよりも強い能力を得ようと思ったら、デメリットの能力を得なければいけないみたいな。そうしないと自分の精神が不安定になる。自分の幸福の基準から外れることだから。

 

そういうことが精神的にも起こりうることだと思うんですよね。

 

魔術といおうのは、多分「願い事をかなえてもらう」みたいなことだと思うんですよね。

 

努力もなく、ノーリスクでほしいものを得る。

 

そして、前述のとおり代償がないと、幸福すぎて不安定になる。

 

だから魔術というのは代償が必要なのだと。

 

そういうことだと思うんですよね。

 

結局のところ魔術というのは、引き寄せの法則みたいに、イメージしていい未来を引き寄せようみたいなことだと思うんですが

 

引き寄せの法則というのは、悪いことを考えたら悪いことも呼び寄せるみたいなルールがあるわけじゃん?

 

それを学問という体裁によって、こう、かっちりさせたのが、魔術なのではないかと。

 

もちろん魔術とは学問ではない。だが、学問と聞くとイメージするのは「この世の真実」というか、「変えようがないしっかりした世界の法則」みたいなものじゃん。

 

当然、魔術はそういうものではない、科学とかではないが、しかし、そう思うことによって思い込むがことができると。

 

だがまあ結局のところはイメージ的なものなのではないか。

 

しかして、まあイメージというのもね、馬鹿にならないというか。

 

日々生きるストレスというか、それに抵抗するのは、そういう希望、欲望を持つことが大事であり、それをこのまま生きていってかなえられるかどうか、みたいのっていうのはストレスがたまるわけですよね。

 

それをね、「絶対叶う!!」って信じることができるならば、やっぱり安心して暮らせるよね

 

 

 

そこにつけこんでカルトは人々を不幸にして身内だけ肥え太るわけですが、でもそれよりも自分なりのその、魔術、信念を信じる方がいいと思うんですよね。

 

客観的に見て、カルトって気持ち悪いし、信じることができないんだからね。

そういう外面の気持ち悪さってだいたい直感で当たってるからな。

 

 

 

 

 

 

まあね、魔術なり、引き寄せの法則に頼らずとも、人類は「科学」っていう学問、魔法を手に入れましたから。それで幸せになればいいと思うんですがね。

 

だからこそ科学をもっと発展させるために積極財政が必要なんですわな。

 

祈りで自分や世界を救えるならいくらでも祈るわな。でもそれよりも言葉に出していった方が何億倍も強い。

 

いくら不安になって、引き寄せの法則でいうところの「悪い想像をする」ことになったとて、自分がやってる言動なり、努力よりかは弱いと思うんですよね。

 

イメージより行動の方が何百倍も強いですから。

 

マザーテレサという偽善者が「イメージすると行動になります」とかいうことを言ってたが、馬鹿じゃねえのって思うわね。

 

だったら俺が大金持ちになって全知全能になって好き放題できてないとおかしいし、その前に地球が壊れたり人を思っただけで殺せないとおかしいわな。そういう想像しかしてこなかったんだから。

 

 

だから世界を救うためには声を出していかないと。

 

つまりれいわ新選組しかないってことだな。

 

れいわ新選組が政権を握ることでしか積極財政を成し遂げることはできない。