七田式数字記憶術的なやつの改善案

昔自分は、能力開発にはまっていたのである。

 

魔法というものが存在しないこの世界において、絶対的な価値を持つものは、自分の能力、ならばそれを極めることこそこの世界においての魔法なのではないだろうか

 

 

そういうモチベーションで、七田式脳トレーニング法的な本を買った。

オレンジカードとかいろいろあったが、その中に、数字をモノに置き換えて記憶する、という方法があった。

 

つまり01なら甥(オイ)、02ならレフ、みたいに、語呂合わせで数字を二桁ずつ覚えて、それを物語形式にしてつなげていくことで数字を記憶する、みたいな方法である。

 

それによると、まず数字とモノをリンクさせないといけない、みたいなフェイズがあって、そのためにスムーズに暗唱できるようにしないといけないわけだが、それが難しかった。なんか全部を何分以内で暗唱できるようにならないといけないみたいなことが書いてあって、全部暗唱はできるけども物理的に不可能なんじゃね?っていう感じだったわけですよね。

 

その当時、僕は融通が利かない性格で、本にそう書かれていたんだからその条件をクリアしないといけないと思い込んでいたわけですよ。

 

それプラス、その当時の僕は、いろいろとトラウマを抱えていて、イメージをするとなんか昔の嫌なことを思いだしてフリーズ状態になるみたいな、妄想状態に入ってしまうみたいな感じになるというか、悪いイメージを想起してしまい無視できなくなるみたいな。

 

それでなんかうまくいかなかったわけなんですけど、今になって思うと、あれって結構改善できるのではないかと。

 

 

まず、別に数字とモノをつなげる、このモノは何でもいいわけですよね。覚えやすければ。

 

なんか15はいちご、とか分かりやすいのもあったんですけど、なんかピンとこない部分もあったんですよね。え?0ってそうやって読むもんなのか?!みたいな。

 

あと、好きなものは覚えるのが早いわけですよね経験上。

例えば電車が好きな人は好きな電車の番号とかで覚えてもいいわけだし、ゲームとか漫画とかそういうので覚えてもいいわけですよ。

例えば漫画の巻数を使って覚えてもいいわけですよね。

 

絶対その方がいいと思う。

勉強よりもゲームのほうが上達が早いのは、そういうことなんだろうね。

そういう感情的なものが勉強へのモチベが落ちている原因なわけですよ。

 

 

 

あと、この書籍では、二桁の数字で対応してたけど、最初は普通に1桁の数字でよくねと思ってしまうわけですよね。

二桁だから、00から99までの数字とモノとをつながないといけないわけですけど、それってすごい労力なわけで。

でも一桁なら0~9まででいいわけです。

 

まあ物足りないというかマニアとかは00~99に拡張するのもいいと思うんですが、まずは成功体験というか、お試しバージョンとして一桁から先にするのが絶対にいいと思う。

 

そういう成功体験を経験しておかないと、絶対100個も覚えるモチベ続かないからな。

 

実際そういうところあるよな。落ちこぼれになった人って。まあ俺なんですけど。

 

最初から難しい問題に挑戦して、それで「ああ俺は頭が悪いんだ~」と思い込んでモチベが落ちるという。

 

それマジで日本のあらゆる場所で起きていると思うわ。それはやめた方がいい。そういうことを常識として持つべきだよ。

 

俺は反出征主義者だが、最低限子供を持つ親は、子供にそういう学ばせるそういう手法というか、哲学をもっと持つべきだよな。もっと思考を巡らせるべき。

 

あと本とか情報を信用しすぎ。俺もだけど。

良いアイディアでも自分なりに加工して使わないと逆に毒になる。

 

最近何でもサブスクになりすぎじゃね?

サブスク…、例えばあるソフトが1万円だったとして、それがサブスクになると月1000円になるみたいな。

 

買い切り方だと一万円払うだけで10か月以上も無料で使えるが、サブスクだと10か月以上たつと一万円以上を払うことになり10か月以内なら1万円以下で利用でk利宇都と、そういうことである。

 

つまり後者の、一万円以上を支払われることを目的にこういうサブスク形式にしたいわけである。売り手としては。

 

まあね。利用者としてもさあ、まあそんな一つのソフトをそんなに長期間使うのならさあ、まあ払ってやってもいいかなっていう気もしなくもないけども。

 

なんかさ、タイムリミット感というのかなぁ。それがあって焦っちゃうというかさあ。

 

例えば最近だと、クリップスタジオとかも新バージョンはサブスク形式しかないみたいじゃん。あとアドビとか、live2dとか。もうなんでもサブスクだなオイみたいなさあ。

 

まあ、逆に言うならば、ちょっと試すだけならばはるかに安い価格で使うことができるというのも利点だけどね。まあお試し版みたいなのがあればいいんだけども。

 

 

 

まあこういってみると、まあ悪くない制度なのかもしれないな。サブスク。

使うだけ使う。撮れるだけ取る。みたいな。そういうなんというか、ちゃんと適正な価格を払うみたいな、そういうことができている気がする。

 

従来の買い切り方は、長いこと使っても、あるいはちょっとしか使わなくても、価格は一定だったわけじゃないですか。

 

合理化というものが起きた結果がそれなのかもしれない。

 

 

たださあ、一つ苦言があるとするならば、最初に「何か月使います」って設定ができるようにしてほしい。そしてその日が来たら自動的に契約が切れるようにしてほしいよな。

 

なんかたまに契約切るの忘れるんだよな。それで余計に払うことになると。そういうの義務みたいにしてほしいよな。

 

何か前、ポイ活(ポイント活動)していた時に、動画サイトのサブスクに入ってたんだが、契約切るの忘れて結構払った記憶があるわ。

 

許せない。絶対に許さない。つぶれろ。

ハンターハンター語り ゴンがヒソカにプレートを返すシーンについて

 

今colabo問題で注目中の暇空茜が、ハンターハンターを動画で語ったりもしているんですが、

ハンター394話解説【ハンター×ハンター考察】 - YouTube

 

その際の考察に、ゴンについて語っているのがあったんですよね。(どの動画か忘れたので参照は探してくれ)

 

それによると、

 

「ゴンは、自分を後回しにする、自分を犠牲にする性格であり、その理由は幼いころ父親に捨てられているから」

 

という解説をなされていたんだが、今回俺は新アニメを見直してみて「ああ確かに」と思ったんですよね改めて。

 

ハンター試験のプレート争奪のところあるじゃないですか。

 

そこでヒソカにプレートを譲られた後、レオリオのプレートを獲得するためにゴンが蛇にかまれながら血清を探すシーンあるじゃないですか。

 

そういう分かりやすいところ以外に、ゴンが次の試験会場に行く中、クラピカに「プレート争奪中、何があったんだ?」って言われて泣きながら起きたことを話すシーン。

 

あれって結構、読者に共感しにくいシーンだけど、前述の暇空の考察を含めれば納得するところがあるよね。

 

別に自分としては、強敵に贔屓にさせられたところで、悔しいと思うかもしれないけど「泣くほどのことか?」って思うわけですけど、

 

ゴンが「父親に捨てられて自分の価値が低いと思っている」という前提の上ならわかる気がするんですよね。

 

つまり、ゴンは与えてもらうことがあまりなかったわけですよね。何かを。

 

それが、ヒソカにプレートを与えてもらうことになったわけで、それでなんか最初「なんだよ今さら!誰かに与えてもらうなんてまっぴらだ!」みたいな、そういう意地になってプレートを返そうとしたわけです。

 

今まで自分には才能があったからこそ、何でも欲しいものは自分で手に入れることができた。それがゴンにとって当たり前だったわけですよね。

暇空はゴンは自尊心が低いといったけど、それとは別に「じぶんには才能がある」っていう自負は最低限あるはずで、それによって欲しいものは自分で手に入れるというのが普通なわけですよね。

 

でもあそこでヒソカに殺される覚悟でプレート奪取して、そのあと事実殺されてもいいような状況になったにもかかわらず、見逃すどころかプレート貰うっていう、そういう甘えさせられた、みたいな。

 

ここのゴンの怒りというか、プライドを傷つけられたっていうシーンは、ゴンの自尊心の低さとはまた別のベクトルがあるよなって。

ゴンのプライドの高さからくる怒りなわけですよね。

 

 

いわば序盤シンジみたいな。

「いまさら何なんだよ!」的な奴ですよね。

 

 

 

そして、別のシーンで、飛行船の中でクラピカに「何があった?」って聞かれて泣くシーン。

 

ここはなんか悔し涙的な感じに見えるけど、実はあのシーンって初めて誰かに与えてもらったという「うれし泣き」も多少含まれていたかもしれない、と考えると、すごいエモいシーンだよな。

 

そして、その後のラスト試験である、逆トーナメント、それでゴンとハンゾーがバトルシーンなんですが、ここでゴンが拷問受けても負けを認めなかったのもそういうことなんでしょうね。

自己評価が低いくせに負けず嫌いというね

 

いや自立しているというか、親に依存する経験がないからこその自己評価の低さみたいな。

 

 

 

 

 

そこで疑問があるんですが、なんでここでクラピカが聞くんだろうなって思わないっすか?

 

ゴンといえば一番の仲良しはキルアじゃん?

ここはキルアが訪ねるべきシーンじゃないだろうか。メタ的にね。リアリティ的には誰が尋ねてもおかしくないんだけども。

 

まだゴンとキルアはこの時点ではそこまで仲良くなかったのかわからんが。

 

結構ゴンとクラピカってあまり関係性が薄そうなだけにな。結構レアなシーンだと思うわけよ。

 

まあなんか思いついたら記事にするかも

 

 

 

自然って良いよね…

984 days in 8 minutes - Growing Plants Time-lapse Compilation - YouTube

 

高速で植物が成長する様子の動画、これ好き。

 

それで思ったんですが、これと対比して人間ってどうなんだろうと。

 

普段人間を見ていて、醜い部分を見ていると、そういう複雑な思考の上で成り立つ地獄というか、そういうめんどくささがあるじゃないですか人間って。蟲毒じゃないですか。

 

その一方、自然というものが以下に素晴らしいというかシンプルで力強いというか、それでいて感情的なのがわかるよね良い意味で

 

なんか人間って争い合ってるじゃないですか。善と悪とが争い合っているわけで、それを見て俺はハラハラしているわけですよ

悪のほうが強いけど、もう善にいかないと人類滅亡が近づくじゃないですか。

怖いよね。まあ善のほうが勝つだろうけど。でももしかしたらって気持ちを持たないといけないというかなんというか

 

とにかく疲れるんです。

 

そういう世界から離れて、こういう自然を見てると、癒されるというかなんというか。

 

葉っぱってなんか全く無機物と同じだという思いがあったけど、感情的というかそういうものを感じるわけです

 

この動画が高速だから動きを感じ取れて可愛いとなるのではなく、普通にそこら編に生えている植物をふと見ると、すごい可愛いなというか、すごい感情を持ったもののように感じていたわけですよね。

 

爬虫類の動画を見ているとわかるけど、カエルとかヤモリって、何も表情を動かさないけど、だからこそ良い。みたいな。

 

だからこそ、にんげんてきでない冷たいように見えるものに対して感情的に見えるというのは不思議ではないな、植物も同じことのように思える。

 

あと自然の芸術って、人間が作る芸術とは一線を隠している感じがするよな。そもそも戦ってない。

人間が小手先で他人を感動させるために色々と工夫したりしている一方で、自然は工夫とかそういうものではなくただただエネルギーで圧倒する、みたいな。

 

人間がスキルだのシナジーだの言っているそばで、

ただ単純にステータスの暴力で殴ってくるみたいな。そういうもんだよね自然って。

 

自然って、人間同士の醜い戦いから無縁というか、別の次元にいるというか。

 

そういうのを見習いたいですよね。相手を見るのではなく自分を見るというか。戦わずして勝つというかなんというか。

 

誰かと戦っている感覚で努力するのは、絶対に限界があると思うんですよね。

 

だってその気持ちで戦い続けるには、相手に勝ち続けるしかモチベが上がらないんだから。

それは無理じゃん。だって勝つ人より負ける人の方が多いんだから

 

だからそういう外交的なコミュニケーションではなく、内向的な自己満足でなくては天才にたどり着くことはできないんだろうね。

優秀なのか愚鈍なのかは時代や場所によっても変わるものだ

 

なろう系でよくある展開として、元の世界で常識だったものをその世界の住人に見せると「おおっこれはすごい!」みたいに過剰に評価される、みたいな事がよくあると思う。

 

それはなんか「いや周囲を頭悪くしてるだけじゃん」「なんで既にそういう技術が開発されてないんだ普通気がつくだろ」と批判されがちだが、

 

しかし割りとそういうところあるよなって。リアルでも。

 

 

テスラとかの電気とか電波とかの開発って、絶え間ない検証とか実験があって成り立つものだろうが、逆に言えばそういう環境さえあれば「誰でも気がつく」ものなんじゃなかろうか。

 

ゲームオタク的な人ならわかるけど、ゲームとかってシンプルなようなゲーム性に見えても、無数の戦法なりが存在するわけですよね。隠し要素とかも発売当日に発見される勢いなわけですよ。

 

だから今では「誰でも知ってるよ」的な定石的な知識になりがちでけど、割りとそれってすごいことなんじゃないかと思うんですよね。

 

でもそれは現代が異常というか、優秀すぎるなだけで、その当時はそういうことしてこなかったわけですよね。

 

何か実験をしようとするものならキ○〇〇教とかの宗教で弾圧されるし、そもそもそういった事ができる人は限られていたわけですよ。

 

あと当時の常識とかに影響されて、すぐ解決できる問題がズルズルと先延ばしにされてきたわけです。

瀉血とかがいい例だよね。

瀉血は当時の医療技術で具合の悪い人の血を抜くという明らかにおかしい医療行為だが、実は何百年も続いていて、ほんの100年前ぐらいつい最近まで行われていたらしいということを解説動画で聞いた。

 

 

なんか現実は物語より奇怪なりという言葉通り、なんか物語として解説すると陳腐に見えるが、現実はそれを大真面目に何百年もやってきたという歴史があるわけですよね。本当に脳みそ詰まってんのかってくらい愚かだよな。

 

 

 

 

まあ、つまり俺が何を言いたいのかというと、

「優秀さというのは当時の環境によって変わる」ということだよね。

 

現代はインフレしてるから、多少の努力で成功者になれる確率が減ったわけだけど、昔は多少の努力(と言ってもかなり重要な努力)で成功する確率が高かったわけじゃん。

 

同じリソースを使っても、ブルーオーシャンレッドオーシャンでは、そのリターンが違うわけですよね。

 

他にも、現代の価値観でいうところの天才、例えば何桁の計算を一瞬でできるとか、一瞬で本を丸ごと暗記できるとか、そういった能力を持つ人間も、未来では凡才とされているかもしれないじゃないですか。

 

そういった能力を効率的に身につけることができる効率的な学習法みたいなことができるようになったら、「そんなことができても何もすごくないよ」みたいになるかもしれないわけですよね。

 

 

 

なんかそれって、すごい、嫌だよなというか。

結局のところ天才だの愚鈍だの、失敗だの成功だのは、環境による物が大きいわけですよね。そういった意味でも。

 

そう考えると、他人の評価っていうのは、真に受けないほうが良いというか、なんというか真実じゃないよなって。

 

他人の評価が高ければその分お金も稼げるし、生活が楽になるわけだけども、そういった俗世的な良さはああるけど、なんというか真理ではないよなというか。真実ではないというか、俺の理想的に、真に納得できる結果ではないというか。

 

 

俺の理想とは、つまるところ今行ったような「相対的な評価」ではなく「絶対的な評価」なものを大事にしたいわけですよね。

 

つまり、「周囲が100できてるからお前も100できないと0点」ではなく、「周囲が100出来ようが関係ない、俺が100できたから100点」って言いたいわけですよね。

 

だって他人がどれだけ出来ようが、俺には関係ないじゃんって思うわけですよ。

 

他人が100できるのと、自分が100できるのは全然違うわけじゃないですか。

 

例えば、ある技術を100だけマスターすることで自分の世界が変化するわけだからね

それと同じように10出来ようが0・1だろうが、自分ができるのならそれは絶対的なものであり、周囲と比べてマイナス100だから良くない、とはならないわけですよね。

 

 

なんかこういう感覚、文章にするとなんか難しいな。

 

まあつまり、自分は世界を信頼していないというか、世界より自分というか、

自分が絶対的な自分の人生の権力者になりたいんでしょうね。誰しもそうでしょう?

 

 

 

人の相性について

前、俺は売れない実況者グループの動画を見た。興味本位で。

 

普段自分たちが見ている実況者ってのはたいてい有名で人気出ている成功している実況者だけなんだけど、その裏には何倍もの売れてない実況者がいるわけですよね。

 

それで、彼らとそれの違いってなんなんだろうと、興味+実益も兼ねてみたわけです。

 

それで思ったのが、すごい気まずそうなんですよね。

なんか言いはじめが被ったり、なんか一人が暴走して他が全員黙るとか、

なんかこれだったら一人のほうがマシじゃね?ていうね。

 

なんかよく、グループの方が有利みたいなことを思ったりもしましたが、逆にマイナスになることってあるんだ。人数が増えて損ってこともあるんだなと。

 

なんかグループ実況って、ファンタジー異世界の戦闘みたいなところあるよなって。

なんかタンクがいて後衛がいてヒーラーがいてシーフがいて、ってバランスが良いパーティーはいい感じだけど、例えばタンクが2人以上いたり、ヒーラーしかいなかったりするとすごいパーティーが破綻してうまくいかないなって

 

そういうことが実況グループでも起きているのではないかと。

 

 

具体的にどういうことかというと、

まず個人個人にロールがあるわけなんですよね。

そのロールを大別して、攻めと受けがあると思うんですよ(BL用語)

 

まあ言ってしまえば、アクティブに主導権を握るみたいな性格の人(攻め)、そしてをそれを受けてリアクションしたりツッコミしたりする人(受け)なわけですよ。

漫才のツッコミとボケみたいな。そういう感じ。

 

実際に俺が見た動画では、攻めが複数人いてお互い話したいことがあるのにかち合ってるみたいな、あるいは受けが受けとしてちゃんとリアクション取ってないみたいな、そういうことがあったわけです。

 

あと、攻めと受けは、正確には誰しも攻めになるし誰しも受けになるみたいな、そういう柔軟な一面もあると思うの

例えば誰もしゃべらない状態で、普段は受けに回る人もアクティブにならざるを得ないみたいなところもあると思うし、攻めの人が他人のボケに対してツッコミを入れるみたいなこともある。

 

 

でもまあ、その点を踏まえて、大体ひとってそういうところあるよなって。実況関係なく。

 

なんというか、他人をひっぱっていくリーダータイプと、他人をアシストするのがうまいというか言われたことをこなすのが上手い人とか。

 

そういう性格って絶対あるよね。

 

 

 

具体例で思いつくのは、オモコロの永田さんと原宿さん。

ふたりとも他人を引っ張るリーダータイプだと思うんですよね。実際の性格は全然違うけども。落ち着いている()というか、子供もいる父親でもあるわけで大黒柱的な存在なんですけど、

彼ら二人を見ていると、なんか仲悪いのかなみたいな、あまり話しているところ見ないなみたいな、

これはおそらくふたりとも攻めタイプだから、主導権的なものがかち合ってしまう現象なんじゃないかと見てて勝手に思ってしまうわけですよね。

 

実際、ラジオで永田さんが「原宿さんが「俺の30歳の誕生日祝ってー!」って言って祝ったんだけど、俺が祝われる番になって知らんぷりしやがって」みたいな、不仲説を後押しするエピソードを語っていたんですよね。

 

これ以外にも、なんかそういう、リーダータイプの人は複数いないほうがいいっていう例をいくつか見たようなきがするんですよね。

 

っていうか実際そうだよな。論理的に考えて、王様が二人もいたら絶対喧嘩するって。

 

 

あと、編集と漫画家の関係性もこの法則の成功型だよな

ナルトや鬼滅の作者とか、編集がいなければ成功しなかったって言われてるからな。

漫画家単体では絶対成功しないみたいな。

 

 

そういう、なんというかヒエラルキー的なものって、割りといい制度というかシステムだと思うんだけど、まあ上に立つものがその資格を必ずしも持ってないっていうのが、なんというか不幸だよなぁ。

 

ぷーちんちんとか日本の政治とかさあ。

 

まあ今回も無理やり政治方面に話を持っていったわけですがね。

 

 

まあ企業とかでもチームでも、そういう引っ張るタイプのリーダータイプが複数人いるとうまくいかないのかなって。

俺がやる、いや俺がやるっていっていつまでも喧嘩しまくるみたいなさあ。

 

かつ、そのリーダーが有能ではないといけない。最低でもまともじゃないと破綻するというか、部下が上司のご機嫌を伺って疲弊していくという感じになるよな。

 

そのために競争というものが必要になってくるんだけど、政治関係とか、権力関係って、そういう競争をせずに、「ワシのお気に入りを後任にしよう」とか「息子が我が会社を継ぐ」とか「政治家の息子だから政治家になれ」みたいなね。

 

そういうことをしだすと、その子供はやる気もプライドもないんだから、結果的に会社とか国を私物化するわけですよね。

 

 

まあ誰しも分かる、わかりきってることだと思うんですけどね。

 

 

 

 

 

まあ脱線したけど、こういう「リーダータイプが複数いるせいでなんかギクシャクしている」みたいなシーンって結構今までの経験上ちらほら見るので、結構面白いなと。

 

俺のこの仮説が正しいということが割りと証明されていると実感する。

 

俺の頭の中の机上の論理ならば、別にリーダータイプが複数いても成り立つでしょ。って思いますけどね。別に正しい方の意見を採用すればいい。全員滅私というか、無欲ならばそれでいいはずだ。

 

おそらく俺がたくさんいたらそういうことができるかもしれませんが、まあ人はそういう風にできていないんでしょね。

 

俺も、そういう権力の魔力というものを感じたことがあるからな。やっぱり自分で舵取りするのが気持ちいいと思う。

アンティキティラ島の機械って、別に存在するのは不思議ではないよね

アンティキティラ島の機械、本物のオーパーツと呼ばれるこれは、ありえない時代にありえない技術の機械が作られたというものだ。

 

そもそもオーパーツとは、遺跡とかから発掘された昔の時代の品物が、当時の科学技術ではありえないような技術で作られたとか、そういうものなんだが、

 

そのオーパーツは偽物が多いらしい。偽物というかこれこじつけじゃね?みたいな。

その点、アンティキティラ島の機械とは、本物のオーパーツということで有名だ。

 

でも俺は思うんですけど、そういうのって不思議じゃないよねっていう。

 

大昔は通信が発展してないわけだし、後世に残すための記録みたいなこともされてなかったろうし、仮にされてたとしても失われていたり現代に伝わってないものも当然あるわけですよ。

 

だから各地が分断されていたと思うんですよね。そしてそれらが現代に残ってない。

 

だから何でもありえたはずなんです。現代と似た技術や考え方を持っていた地域が過去にあったかもしれないという。

 

なんというか、この世界って、その空間、人間がいる場所、文化圏みたいなのって、一つのコンピューターだと思えばわかりやすいかもしれませんが、

その文化圏がそれぞれ、長い時間かけて文化を形成していくわけですよね。

 

つまりそれだけそのコンピューターが長い長い時間存在していたわけで、それぞれが何を考えてもおかしくないわけで。

 

アンティキティラ島の機械というのも、現代に伝わってない文化圏というか、科学技術をもった集団が作ったものだとすると、納得がいくというか、

 

なんか生存バイアスというか、今に伝わっている過去の歴史”だけが過去の世界の真実だと、なんとなく思いこんでますけど、

 

必ず現代に伝わってない失われた地域というか技術があるはずですよね。

その一つがアンティキティラ島の機械を作った文明に過ぎないと。

 

なんか生存バイアスを例える話として、「戦闘から帰ってきた戦闘機に、銃弾の穴がない部分があるから、そこは装甲を厚くしないでいいや、いや逆じゃーい!」みたいな話があるけど、

あの考え方と同じで、「今残ってる歴史ではなく、絶対に失われた歴史が存在するはず」と考えると、全く不思議ではないよねオーパーツという存在自体が。

 

 

それと同じような具体例として、俺が思っているのが「魔女」の存在だと思うんですよね。

 

魔女っていうのは、キ○○○教徒によって迫害された人たちのことで、なんか薬とかを売っている善良な人々を、宗教フィルターで見て異端(仲間外れ)として悪認定して拷問して公開処刑して楽しむみたいなことをしていた人がいるんですが。

 

その存在で絶対に何か失われた秘伝というか知識があるはずなんですよね。

 

だって薬っていうのは、実際高度な知識というか、すごい技術だと思うんですよね。実際に使ってみて効果が歩かないかとか、動物に実験したりとか色々試行錯誤の末に完成するものですから、

 

その試行錯誤が歴代を経て何百何千年もかけて培ってきたものだから、今で言うところの野口英世的な、そういう偉人が魔女の中にいたと思うんですよね。

 

うーん、やっぱり宗教ってクソだわ。統○といい、宗教なんてカネに目の眩んだ詐欺師の道具に過ぎないよね。

合理性を捨て去る神なんて捨てちまえ